これは日記の連絡です。
とうとう「今週末の良かったこと」も練習になってきて、さあ本番はいつだ?
ビット化された情報はすべて未来にむけて残されるべきだと考えていたのは、たまさか情報が残されうる形式になっているからそう思いこんでいただけで、10年20年程度の時間が経ってしまえば、案外塵のように吹き飛んでしまうものなのかもしれない。と、レーベル面に書かれた油性ペンの文字が滲んで読めなくなってしまっているのを見て思った。
https://kejinan.hatenadiary.com/entry/2023/07/30/214340
これは「空間を超えて点と点をつないでいくテクノロジー」なのか、「時間を超えて点と点をつないでいくテクノロジー」なのか、の話だ *1 *2
ビット化された情報っていうのは、時間を超えていくためのものではなくて空間を超えていくためのものだったのかもしれない
時間を超えて残されたものってビット化されていないもの、抽象化の度合いが低いもののような気がする
今日は夜、いつもの定例の「公」の日で、帰りは疲れ果ててクルマのハンドルを切るのも面倒で、とにかくできるだけまっすぐまっすぐ帰ってくる感じだった
この「公」は、9月末くらいまでなので「あとちょっとじゃん」って言ってたけど、これからこなすアレヤコレヤを考えると全然そんな気分じゃない
じゃないんだけど、それとは別に反骨心みたいなのも芽生えつつあって、やったるで、みたいな感じも出てきた
人間って(というか、自分って)複雑だな、とか思う