積読山脈を積み上げるのはライフワークだ。だけど積読山脈の背表紙をインターネットに晒すのは絶対したくない。積んだ本(読んだ本、積みたい本、読みたい本)の話をインターネットに晒すのは別になんとも思わない。この二つの違いがなんなのかわからない。
積読山脈 2021/01
gyazo.com
積読山脈 2022/12
gyazo.com
tumblr の場合、フォロー、フォローイングの関係って凄くドライなんだけど、もうずっと前から一緒に dashboard を過ごしてきているので「この post はきっとあの人、好きだな」という感覚があって、実際にそれをリブログしたりされたりする、ということが起きる。それも頻繁に。一度も言葉を交わしたことがないけども、その人のことをすごく良く理解しているような気がする。
https://scrapbox.io/yuta25/2023%2F3%2F15
自分が好きなものを他の人も好きなことを知るとそれだけで満たされてくるなにかがあるような。
これはなんていうんですか?
これはなんていうんですか?
元の文章がどこに転がっていたか忘れたんだけど、インターネットで見かけた、「サボっている人を見かけても、その人の怠慢が自分に悪を成すのでなければ、放っておけ」というのがずっと心に残っていて、そうありたいと心がけている。この場合の「自分」の範囲を拡大しちゃうとよくみる正義を振りかざす人になってしまうので、そういう意味では、ちゃんと境界を引くことが大事なのだと思う。
「あー、自由がほしい」、なんて思うことがあるんだけど、そういうときはだいたい「ちょっとボーっとしたい」だけだったりする。1分とか、もっというと30秒でも一日のあらゆるタイミングで細切れにボーっとすることが出来ると、解決できるような気がする。訓練が必要な気がするけど
化物語、完 pic.twitter.com/HzeeS3DNmv
— twwp™ (@taizooo) 2023年3月14日
人から人へ、口から口へと
言葉が彼のカタチを変えていく。
化物語(自分の場合、大暮維人のマンガ版なんだけど)の中にある、名前が先にあってそれが怪異を形作る、という話が好きで、
つまり名付けることによって、それは存在するものになる、ということで、たとえば「なんか調子が悪い」という言葉が調子の悪さを生んだり、「なんかよくわかんないけど気分がイイ」という言葉が調子の良さを生んだりする、っていう事象のことです。
いま、「場所」がずっと気にかかっていてそういう意味では、名付けられることによってソレ(なに?)には存在する場所が与えられるってことなんじゃないか、って思ったり思わなかったり。
読書と積読山脈について言っておくと、現状、全然ダメです。積読山脈も微動だにしないし読書も1ページも進んでいません。
この週末、裏山に入ったら、茶道峠から樹木見本園に繋がっている岩窪林道*1の入り口に、ロングの日産キャラバンが停まっていて、ちょっと年配のオッサン*2がオフロードバイクを引っ張り出していた。ウェアに着替えていてチェストプロテクターを付けていたを横目で見つつ通り過ぎた。バリバリいわせながら林道に入ってきたら通報したろ、なんて思っていたけどしばらくすると山の向う側から排気音を響かせてどこかへ駆け上っていったようだった。
しばらく行くと今度は、見本園のうっそうとした木々の隙間から、フルカウルなバイクが、県道*3をバリバリと排気音を響かせて、車体をバンクさせ駆け上がっていくのが見えた。
で、ここで話は変わる。
モーターバイクもバイク(バイシクル)もオフロードにはオフロード用の、オンロードにはオンロード用のマシンがある。スキーもスノーボードもサーフィンも道具を使うスポーツはみんなそうだ。ランニングは自分の身体が道具だから、やりたいことがあったら自分自身をそれにあわせてチューニングしないとならない。それっぽいシューズやウェアや GPS ウォッチとかあるけどそんなのこれっぽっちも「やりたいこと」のための担保にならない。
「債務の履行は保証されません」
先週は一週間を振り返ると、月曜日の朝からちょっとしたトラブルがあってもうそこからこのドタバタが始まっていたのだった。そのトラブルのきっかけはよくよく考えると本当に些細な、ほんのちょっとの小さな悪意からだった気がする。悪意というか意地の悪さというかそういう。でもまあこのトラブルは些細なとはいえ自分の意地の悪さから始まったのだから、ケツをまくるのは自分だよな、ということで覚悟を決めてことに当たると意外なことにすんなりとおさまるところにおさまったりした。教訓:「悪意、仇を生す(自分への)」
と、いうことで、そんなドタバタとした始まりからもうずっと、実際には今、この足元までそのガタガタとした雰囲気は尾を引いて続いていたりする。もう、そうなったとたんに、こんなときにインターネットになんてかかずらっていられるか、という空気になっている。というわけでココへの post も急速に頭打ちになっている。挽回が求められる。
土曜日、12年目の3月11日。いろいろと事情があり「公」が優先されて、小瀬にはキックオフギリギリに到着した。スタジアムは完全に夏だった。気が早い。
甲府 vs 藤枝 2対1 今シーズン初勝利。
藤枝は今シーズン J2 に上がってきた。監督もコーチも甲府 OB だらけ。ゲームは正直いって藤枝のものだった。縦パスの入れたり出したりが速くて、選手が後ろからわらわらと湧き出してくる。難儀。このサッカーはかつて見たことがある。サッカーはエンターテインメントだ、って言っていたダミ声の監督のサッカーだ。でも勝利したのは甲府だったし、ゲームは心を揺さぶるものだった。
試合が終わって選手が場内を一周して、ゴール裏の前に並んだ。先制のゴールを決めた武富がトラメガを持ってなにか言うとクルバは「甲府ロマン」(アトレティコ)を歌った。そして最後、気が早い夏日のような空の下で「輝く夜空」を歌った。選手は肩を組んでチャントに合わせて跳ねた。スタンドも跳ねた。
帰り道、勝った試合の帰りの、スタジアムを背に歩く、あの道すがらが好きだ、というのを思い出した。みんながニコニコしながら名残惜しそうに帰っていく感じ。では、また、スタジアムで会いましょう。
裏山に入った。あの尾骨骨折のアクシデント以来なので、1ヶ月半ぶりくらいか。先週、加速劣化試験に合格しているのでいきなり Out & Back しても良かったんだけど、あの滑った落ち葉にちょっとビビったというのと、道路と山は全然違うからビビったというのがあって、裏山ルートAと呼んでいるちょっと短いルートを2往復した。
裏山に上がってみると、スタート地点と折り返し地点の水飲み場が閉鎖されていて、いきなりノックアウトを食らいそうになった。結論からいうと少し遠回りして自販機でミネラルウォーターを買うという水ごときにお金を払うという屈辱的な対応となった。水と安全はタダだと思っている日本人。
とりあえずスローに入って片道30分くらいのペースで進めた。調子良かったときは25分くらいだった。うまくいったら3往復するぞ、みたいな気持ちだったんだけど、思った以上に脚にきて2往復目の大笠山への上り返しで脚が終わった。全然ダメだった。でもとりあえずオールアウト(ブラックアウト)はしなかったし脚も足も攣らなかったしどこも骨折しなかったし、まあまあ良かったということにしておこう。ルートAを2往復で2時間、大笠山への入り口まで行きと帰りで1時間、最後クールダウンでちょっと歩いて、合計3時間30分。
いま愛宕山は50周年記念事業で公園の工事中なんだけど、その看板に「安全第一(Safety First)」って書いてあって、山の中でずっと "Safety First, Safety Fast" って唱えながら走っていた(歩いていた)。安全第一、そして安全であることが結局は一番速くて早いのだ。
工期が伸びてて完成はゴールデンウィークということだった。まだしばらくは成田山不動堂からは上ってこられない。金手からのワイルドなぶどう園脇を上らないとダメ。
今週末のプレイリスト。1曲目は1年前のプレイリストから caroline "Skydiving onto the library roof" 。題名がイイ。
「今週末のプレイリスト」の良いところは、今のルールだと1年前のプレイリストから1曲目を選ばないといけないところで、そうすると、たとえば1年前にバッハのチェロのヤツにハマってたのがわかったり、たぶん1年後には、デ・ラ・ソウルがサブスクリプション解禁になったのがわかるのだと思う。そしてサン・ラからデューク・エリントンっていう話もきっと思い出すのだ。
https://studies.shikakun.com/entry/2023/03/11/222048
ゲームボーイのカートリッジやきらきら光る川の水面が、あの日を思い起こさせるタイムマシンになる。
https://dragonboss.hatenadiary.com/entry/2023/03/11/220000
そしてこうしてカレーを食べたり食べた事を思い出す事も祈りなのだと信じている
マラソン的な競技志向とか進歩思考に関わらずにランニングし続けるのとか、トレイルランニングとかウルトラライトハイキングとかに感化されずに裏山に入り続けるのとか、ジャズとかクラシックとかジャンルやトップランキングとか気にしないで延々と毎週プレイリストを作り続けるのとか、ベストセラーとかベスト・イヤーとか知ったことかとただただ積読山脈をうず高く積み上げるのとか、ずっーと、これこそが普遍的な価値感なのだ、と思ってたんだけど、違う、それはそういう自分のタレントなのだ。
たぶん、誰ともわかりあえないそういう領域を、誰もが抱えているのだ。きっと。
誰かにわかってもらう必要なんてないんだな、とか、べつに優劣なんてもんは存在しないんだな、とか、そういうのがちゃんとわかるようになって、とても楽になった。楽というか軽くなるというか。それはただたんに歳を取った、枯れた、ということなのかもしれないけど。
まあなんというか、
それぞれがそれぞれのスタイルで。
誰かを貶めるかもしれない悪意は、それが小さなものであっても、ちゃんと自分の身に仇(あだ)となって帰ってくる。
絶対絶命のピンチが、自分から動くことで、絶好のチャンスに変わることもある。
今日の朝っぱら、そんなことが起こったので、ここに書いておく。
https://www.ldoceonline.com/jp/dictionary/babe-in-the-woods
babe in the woods
someone who can be easily deceived
簡単に騙されやすい人
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2023/03/07/185304
金曜日、デ・ラ・ソウルのサブスクリプションが解禁された。でも一番大好きな A Roller Skating Jam Named "Saturdays" はベタ過ぎて「今週末のプレイリスト」には入れられなかった。その代わりに "In The Woods" を一番最後に入れた。
ところで、このイン・ザ・ウッズというのはどういう意味なのか。そういえばオッドタクシーも映画はイン・ザ・ウッズだった。
この日曜日に加速劣化試験して、月曜日はまだ脚が激重だったけど火曜日の夜には完全に通常に戻ったので、リカバリーについても合格しました。
もういつでも裏山に入れる。
via アレニウスの式(アレニウスの法則) (1) - 製品設計知識
加速劣化試験(かそくれっかしけん、"Accelerated Aging Test")とは、製品を過酷な条件下に置き、意図的に劣化を進めて製品寿命を検証する試験である。
製品の構造は時と共に歪み、また、製品を構成する物質は時と共に変化・劣化する。このため、製品の機能は永遠に保たれず、所定の期間についてのみ保証を与える事が検討される。劣化を評価するには、所定の年限の間材料や製品を放置、或いは実際の使用に供して評価するのが最も確実だが、例えば10年の保証を確認するために10年間を費やすのは現実的ではない。そこで、製品を過酷な条件の下において劣化を促進し、長期間に起こる劣化が短期間に進むとみなして、現実的な時間の試験で長期の劣化に代える。
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2023/03/07/185304
日曜日、走った。加速劣化試験。20分ユルユル走って10分アップダウンがある公園を強めに走って合計30分。これを4ループ回して120分。そしてそこから最後、脚が終わるまでユルユル走る。ガス欠寸前でギリギリ60分。ということで合計180分で試験に合格した。これに合格するといつもの裏山で最大4時間の Out & Back のチケットを手に入れる事ができる。というルール。
フラットなコースを鼻呼吸で走れるくらいのペース(AeT以下)で走って20分、標高差が25mくらいある公園を強めの強度(AnT以下)で上がって下って10分、これが1ループ。これを4ループ回して1セット。それが終わってからが本番です。燃料を燃やし尽くしてからどれだけAeTで動けるかというテストで最低60分動けたら合格というものです。
このテストはいまどれだけの持久力を持っているのか確かめるものです。このテストに合格すると、いつもの裏山の Out & Back (2時間行って、2時間で引き返してくる)で、生きて帰ってこられる保証となります(あくまで持久力について最低限の保証です。どのくらい思う通りに速く・強く・大きく動けるかは別の問題です)。
この加速劣化試験の良いところは、たとえ目一杯頑張っても家の周りなので這ってでも帰宅できるというところ。裏山(エスケープコース有り)とはいえ、山を走るのと街を走るのでは、安全という意味で全然違うことが求められます。
「 AeT 以下のペース」というのは有酸素性閾値以下のペースのことでその燃料は脂肪が主体。理論上は脂肪が枯渇するまで運動を継続することが出来ます。体重65kgで体脂肪率20%の人間は13kgの体脂肪を持っているのでざっくり90,000kcalの燃料を持っています。ランニングは1km走るのに体重1kgあたり1kcal消費することになっているので、だいたい1,400km走れるわけです。理論上は。
そして、 「 AnT 以下のペース」( AnT は LT と呼ばれることもあります)というのは有酸素性閾値以上、無酸素性閾値以下のペースのことで燃料の主体は脂肪から糖へ徐々に切り替わります。普通の人はギリギリ30分くらい運動を継続することが出来ます。普通の人が普通に気分良く走るとこのくらいのペースになりますが、普通じゃない人(キリアン・ジョルネとかエリウド・キプチョゲとか)の場合は、なんと120分以上この強度で動き続けることが出来ます。
人間の身体はトヨタ・ハイブリッド・システムのように、運動強度で使われるエネルギーが異なります。その運動強度によってオートマチックにその比率を切り替えています。代謝って凄いね。
AeT (有酸素性作業閾値)以下の強度で身体を動かすとき、主体となる筋繊維は ST(遅筋線維)と呼ばれます。赤い筋肉。ST は非同期的に動作します。人の身体は、長時間、動き続けることができるように、いつでも ST を全体の何割かだけ切り替えながら動作させる仕組みになっています。人体の神秘。これがなにを意味するのかというと、つまり全ての ST に刺激を入れるためには長時間その強度の運動を続けないとならないということです。ずっと、延々と、ひたすら長く。そこには抜け道や近道がありません。スピードスケート10.000m世界記録保持者のニルス・ファンデルプールは、エアロビック・トレーニング期には雨の日も風の日も毎日9時5時でバイクを走らせました(週休二日で一週間30時間)。
AnT(無酸素性閾値)以下の強度で身体を動かすとき、ST に続いて動き出す筋繊維は FT(速筋線維)と呼ばれます。白い筋肉。FT は同期的に動作します。ライオンと出会ったときに一瞬でそこから逃げ出せることができるように。 FT には FTa と FTb という異なる2種類の筋繊維があります。 AeT 以上の強度になると いよいよ ST は動作限界になって動力が足りなくなります。するとまず FT のなかで乳酸耐性の高い FTa から順番に動作を始めます。
FT が無酸素代謝で「悪い」副産物(例えば乳酸とか)を発生させると、それを ST が掃除機のようにこれを吸い取って分解、再び FT の燃料として使えるようにできると考えられています。この能力が大きい人、つまり普通じゃない人(キリアン・ジョルネとかエリウド・キプチョゲとか)はとても「大きな有酸素代謝掃除機」を持っていると考えられています。だから普通の人が30分しか続けられない強度を2時間以上も続けることが出来るわけです。
ここでのポイントは、乳酸を分解するのにも、有酸素代謝が使われるということです。
持久力が求められる低い強度・長い時間の運動の間に、このような強めの刺激を無理やり入れることで、非同期的にしか働かないサボり癖のある ST を無理やりこき使って、効率よく疲労困憊にさせる、というのがこの加速劣化試験のアイデアです。
金曜日、デ・ラ・ソウルのサブスクリプションが解禁された。でも一番大好きな A Roller Skating Jam Named "Saturdays" はベタ過ぎて「今週末のプレイリスト」には入れられなかった。その代わりに "In The Woods" を一番最後に入れた。最後になったのはやっぱり恥ずかしさがあったから。この「好きなものを好きということの恥ずかしさ」みたいなのって、いったいなんなのだろう? ところで、このイン・ザ・ウッズというのはどういう意味なのか。そういえばオッドタクシーも映画はイン・ザ・ウッズだった。
2作目のアルバムで、自分の名前のあとに "is dead" ってつけたい人生だった
— twwp™ (@taizooo) 2023年3月3日
土曜日、「今週末のプレイリスト」をガンガン鳴らしていつもの川の周りを走った。せっかく解禁されたデ・ラ・ソウルの "D.A.I.S.Y. Age" じゃなくてスチャダラパーの "N.I.C.E. Guy" を鳴らしていた。120分走れる余裕さで90分走って、30分歩いて120分走った雰囲気を出した。気温が上がって今年初の短パンに素足だった。夜はいつもの串揚げ屋でここ最近の最長不倒距離を達成した(16本)。
調布の空に念を送っておくー
— twwp™ (@taizooo) 2023年3月5日
日曜日、走った。加速劣化試験。20分ユルユル走って10分アップダウンがある公園を強めに走って合計30分。これを4ループ回して120分。そしてそこから最後、脚が終わるまでユルユル走る。ガス欠寸前でギリギリ60分。ということで合計180分で試験に合格した。これに合格するといつもの裏山で最大4時間の Out & Back のチケットを手に入れる事ができる。というルール。
そして厳しい情報統制の元、ちょっと遅れて 甲府 vs 東京V の試合を DAZN で追っかけ再生する。スコアレスドロー。スターティングメンバーにはトップにウタカとサンペーを並べるという変化があった。とにかく早く速く結果が出したい。来週はホーム小瀬。ホームで勝たせたい。
甲府のゴール裏、すごかったな
— twwp™ (@taizooo) 2023年3月5日
サン・ラとデューク・エリントン、灰野敬二と「古楽の楽しみ」(バロック音楽の楽しみ)、この二つの話が一直線に並んだのが、この週末最高のトピックスです
— twwp™ (@taizooo) 2023年3月6日
一直線に並んだのは、この二つの話だけじゃなくて、そもそも一番最初は松尾芭蕉「おくのほそ道」やドナルド・キーン「百代の過客」だったりしたんだけど、一番大きかったのは西田知己『「新しさ」の日本思想史』だったりする。
今週末の良かったこと(復帰からのランニング、未来と過去に向かう矢印、開幕まであとわずか、の話) - copy and destroy
江戸時代後期、蘭学(解体新書とか)の発展が、今に繋がる「新しさ」の意味を変えていく原動力になるんだけど、この蘭学の発展が未来志向的? 啓蒙思想的? だとすると、一方で儒学(論語とか)をその理念に基づいて理解しようとする動きが起こっていて、これは儒学が後世に伝えられる間にその時代やその地域(中国?)の余計なものを纏っていったその一枚一枚を剥ぎ取っていくようなことで、そういう意味では復古主義的に見えるんだけど、実はその対象の方向が正反対なだけで、その事象に対する姿勢は全く同じものだった、という話があった。
「新しさ」が動くときには未来と過去の両方に矢印が向かう。
この引用だと全然理解できていなくて解像度が低いけど、過去の方向に矢印を進めたのが誰だったのかというと本居宣長だった。そしてこれが、橋本進吉「古代国語の音韻に就いて」にも繋がっていた。こういうときには、見るもの聞くものが全て、繋がっているように見えるのだ。
で、ことの発端はさらにこんな場所にあった。
過去と現在と未来はグルっとつながっているらしい。2022年はこの「過去と現在と未来はグルっと」地続きになっているという現実にちょっと打ちのめされているところがあったけど、なんだろうか、慣れたのか、鈍感になったのか、ただたんに年老いたということか、なんとなく大丈夫になった気がする。正直、今が戦後だろうが戦前だろうが戦中だろうがどうでもイイ感じ。そんなことより毎日の方がよっぽど大事、みたいな感覚だ。
ということで、今週末のプレイリスト。1曲目は1年前のプレイリストからロバート・グラスパー。1曲目が違うと先週とは全く違うプレイリストになる。本来はデ・ラ・ソウルを祝うのが筋だったんだけど、サン・ラ、やっぱり最高だな、という認識を新たにした。
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