copy and destroy

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今週末の良かったこと(復帰からのランニング、未来と過去に向かう矢印、開幕まであとわずか、の話)

尾骨骨折からの復帰

先週末の尾骨骨折から、痛み止めが効いたのか、たくさん食べたからなのか、自然治癒なのか、痛みを縫って(避けて)ちょっとずつ身体を動かしたからなのか、なんとなく走れる雰囲気になってきたので、この週末走った。

土曜日はフラットな川沿いをグルグルと60分、5分:1分のウォークブレイクで。尾骨のあたりにちょっと違和感はあるものの、走る動作には差し障らないのと、走っている間に痛みが増すこともなかった。

日曜日、朝、とくに良くもならなかったけれど、悪くもならななかったので、川沿いのルートと城跡の公園を繋いだフラットな、もう少し大きいループで120分、やっぱり5分:1分のウォークブレイクで。このルートは加速劣化試験と呼んでいるメニューを走るルートで、ただ、一番気温が上がる時間を狙って走り出したものの寒くて、日当たりの良い、気分の良いルートを繋いで走った。

そして今朝、月曜日、とくに悪くもならなかったので、来週はもうちょっと長く走るか、それとももうちょっと強く走るか、これからの様子で決めようと思う。今朝の始業前のラジオ体操第一は前屈は全く問題なく、ジャンプも軽くなら開脚ジャンプ出来た。イイぞ、この調子だ。

『「新しさ」の日本思想史』読了

そんなに厚くない新書なんだけど、全然進まなくて、やっと読了した。

江戸時代後期、蘭学(解体新書とか)の発展が、今に繋がる「新しさ」の意味を変えていく原動力になるんだけど、この蘭学の発展が未来志向的? 啓蒙思想的? だとすると、一方で儒学(論語とか)をその理念に基づいて理解しようとする動きが起こっていて、これは儒学が後世に伝えられる間にその時代やその地域(中国?)の余計なものを纏っていったその一枚一枚を剥ぎ取っていくようなことで、そういう意味では復古主義的に見えるんだけど、実はその対象の方向が正反対なだけで、その事象に対する姿勢は全く同じものだった、という話があった。

そういえば、同じようなことはルネサンスにも見られたし、20世紀のクラシカル・ミュージックにも見られたのだ。オオ、と思った。なにかを発見したような気持ちになった。20世紀のクラシカル・ミュージックでは、かたや、無調というまだ誰も聴いたこともないようなノイズのような音楽に向かった矢印(ジョン・ケージとかそういう人たち)と、こなた、作曲された当時の楽器や演奏方法を用いて音楽を理解しようとした矢印(ニコラウス・アーノンクールとかそういう人たち)があった。

「新しさ」が動くときには未来と過去の両方に矢印が向かう。

自称、インターネットの墓掘りで、腐れリブロガーでもある自分にも、なにか存在する意味みたいものがあるような気持ちになった。ということでこの『「新しさ」の日本思想史』はキンドルも購入する方向で検討されています。

それから、

FUJIFILM SUPER CUP 2023 のチケットは、この土曜日に発売された。購入した。天皇杯の験を担いで、またバックスタンドを選んだ。勝つ気だ。われわれのシーズンが始まる。

【公式】チケット情報:FUJI FILM SUPER CUP 2023:Jリーグ.jp
gyazo.com

それから、それから、

今週末のプレイリスト。1曲目はアコーディオンのルイ・アンドリーセン "Workers Union" 。ちょっとルール逸脱しててこの最初の曲と最後の曲はどっちも Claudio Jacomucci だった。今回のは、エマ・ジーン・サックレイとかダニエル・ピオロとか蓮沼執太フィルとかララージとかニコ・マーリーとか好きなヤツばっかりだった。次はもうちょっと未知にチャレンジしたい。

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