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今週末の良かったこと

オデュッセイアを語り部に語らせる話

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とうとう覚悟を決めて、オデュッセイアを読み始めた。キンドルで購入した。一瞬で空から降ってくる。

オデュッセイア、読みたいとは思っていたけども、なかなか読み始める決断が出来なかった。あれを読もうか、これを読もうかと思い悩んでた。で、この週末、本屋に行って読もうと思っていた本を探した。ある本は在庫がなかった。またある本は読んでみたらちょっと感触が違った。そしてまたある本はまだ機が熟していないと思った。そして結局のところオデュッセイアに落ち着いたというわけ。

オデュッセイア、 Wikipedia にあらすじが載っていたのでこれをコピーしてペーストして並べ替えたりしていた。そんなふうにしてどんな物語なのか理解しようとしてきた。オデュッセイアは叙事詩と呼ばれている。つまり詩である。これは口述文学、語られることによって語り継がれた文学の時代と、記述文学、書き記されることによって語り継がれた文学の中間点に存在する。この物語は「語る」こと「語られる」ことによって成り立っている。そんなわけで、Fire HD 10 の「読み上げ機能」をつかって読み始めた。

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ようは「音読」である。「音読」なんだけど、自分の声を節約して、語り部(キンドル)に語らせているわけだ。これはなかなか面白い体験になった。気がついていなかったけど黙読というのは、スピードが上がったり下がったり立ち止まったり前に行ったり後退りしたりする。音読、しかも語り部(キンドル)が語る音読は、一定のペースで進む。ひたすら前に進む。わからない言葉があってもそんなことは知ったことかと先に進む。読み間違ってもそんなことは知ったことかと先に進む。おかしなイントネーションでどんどん先に進む。こちらの気力がなくなっても語り部(キンドル)はそんなことお構いなしに進む。淡々と進む。どんどん進む。そういう読み方になる。

戦いの火蓋は切って落とされた(花粉症との)

先週、ちょっと体調がおかしい感じになった。頭がボーっとする。ガスっ腹。唇がはれぼったい。ノドに違和感。マズイ。ひょっとしてアレ?

予定帳として使っている三年日記(いろいろなところに色違いの三年日記を使っているのだがその話はまた今度)を開くと、一年前の自分がポストイットを貼っていた。「花粉症、薬をもらいにいくこと。毎年2月はじめに」。ということで、例年より何週間か早く耳鼻科に行ってきた。

土曜日の朝、起床成功。過酷なインターネット予約をショートカットして窓口に飛び込み、一桁台の順番待ちを獲得。ワレ、TCP/IP ニ勝利ス。これまでは毎回1ヶ月分を処方してもらうんだけど、今年は2ヶ月分出してもらった。念には念を入れる。不測の事態に備える。

それから、

サポートしているサッカークラブから2022年の DAZN 年間視聴パスが届いた。クラブは宮崎の2次キャンプに突入している。新井と野沢陸が軽度の故障でディフェンダーの人数が足りなくなっている、なんていうちょっとした不安と、垣間見えるとても良いチームの雰囲気とトレーニングの成果からくる希望と、そんなバランス感覚。

それから、それから、

今週末のプレイリスト。1曲目は1年前のプレイリストからサム・ウィルクス " Descending" 。下降していく音程は悲しみを意味する。人の声がすることと、ゆっくり流れることに気持ちが向いている。1年前のプレイリストがえらく渋かったから、負けたくない気持ちで組んだ。1年後の自分が聴いたらさて、どう感じるか。

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