2021AC2021
2021年のベスト・オブ・ザ・イヤー・アドベントカレンダーが無事完走した。今回止まったのは三年日記だった。
via https://suzuri.jp/taizooo/9015422/acrylic-block/m/clear
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祝祭は終わった。
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バカみたいに tweet するのも、もうお終い。
世界文学全集 短篇コレクションⅠ
読み進めている。 コレクションⅠはヨーロッパ以外の作家、 コレクションⅡはヨーロッパの作家による短篇集とのこと。なんのひねりもなく作家の生まれ育った場所だけで分けられたこの二つの違いは、ファンタジーとリアリズムの違いだ、とある。
短篇コレクションⅠ、冒頭のフリオ・コルタサル「南部高速道路」にすっかりやられてしまった。
折込のチラシがついている。こちらにその全集についての解説が載っている。コレクションⅠは「短篇の時間、長篇の時間」。
「長篇小説というのは基本的に伝記であり年代記である。そうではない型式、技法が勇敢な作家たちによって開発されてきた。その代表例が、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』と ジェームズ・ジョイス『ユリシーズ』」。
そして「短篇小説は長篇小説に対して短い時間を扱う。そのために長い時間をカットしたりスキップしたり場合によっては巻き戻したりしている」と。そう、つまり短篇小説はタイムマシン、タイムトラベルなのだ。
「南部高速道路」についてこのように書かれていた。
「八月のうだるような暑さ」の日曜日の午後に始まり、翌日になり、翌々日になり、そのうち時間の経過は加速されて、寒さが厳しくなり、雪が降り……と書けばわかるであろうが、この話の中の時間はリアリズムを大きく逸脱したファンタジーの時間なのだ
そういえば、2021AC2021 で youkoseki サンが書いていた短いフィクション? も時間を操作してたな。
それから解説には「イソップの寓話や『今昔物語』にはことの経緯はあっても時間はなかった。違う性質の時間を組み込むのが現代の短篇の原理なのだ」とあった。カルヴィーノ「イタリア民話集」、柳田國男「遠野物語」読み直そうかな、とか思いつつある。
今週末のプレイリスト
1曲目は1年前のプレイリストから Kan Sano "Untitled (How Dose It Feel)。プレイリストのタイトルが "Untitled" というのもまたイイかな、みたいな気持ちもあった。
手癖になっているアーティストについて tweet でつぶやいてから意識して外すようにしてる。
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「今週末のプレイリスト」手癖になってる選曲ってあって、それは、サン・ラ、ララージ、マイク・クーパー
他にも、ベニー・シングス、ジェイコブ・マンとか。逆にサム・ゲンデル、サム・ウィルクス、オリバー・コーツは好きすぎてわざと外すようにしていたり。毎週末なので、なかなか大変。