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今週末の良かったこと

積読山脈飽和攻撃

https://twitter.com/taizooo/status/1358013885333217281

それではここで、本日積み増した積読の三冊をご覧いただきます。プラグマティズム飽和攻撃!

積読山脈を積み増した。順調に標高を高めている。伊藤邦彦「哲学の歴史 第8巻(18ー20世紀) 社会の哲学」、宇野重規「西洋政治思想史」、パース、ジェイムズ、デューイ、植木豊(訳)「プラグマティズム古典集成」。ぜんぶ1月の終わりに買った宇野重規「民主主義のつくり方」がきっかけになっている。

https://twitter.com/taizooo/status/1357989865166499840

ワイヤレス・イヤフォーンを買うのは結構躊躇するのに、積読を積むのは全然なんともないのはどういうことなのか

今回、積み増す積読から泣く泣く落とした本は、白土三平「シートン動物記」、ルイ・メナンド「メタフィジカル・クラブ」、欲しかったウィリアム・ジェイムズ「宗教的経験の諸相」は無かった。

二つの理由から泣く泣く落とした。一つめはプラグマティズムに関わることにだけ集中したかった(「シートン動物記」を落とした理由)。二つめはプラグマティズム成立の瞬間にピントを合わせるか、大きな流れの中でのプラグマティズムの位置を把握するかの選択の結果だった(「メタフィジカル・クラブ」を落とした理由、大きな流れの方を選んだ)。

まあ、実際の話、「メタフィジカル・クラブ」は1ページ2段組で500ページを超える大作でお値段もビックリする感じだったので、躊躇した、というのはある。

古典、人文主義

宇野重規は「西洋政治思想史」の序文で、「古典」とは「古い」という意味ではなく、時代を超えて読み継がれ常に参照され続けた書物のことである、と述べている。歴史というのはこの古典と、古典を読む人、そこから新たなる古典を編む人の繋がりを意味する(意訳)、そしてこの伝統のことを「人文主義」(ヒューマニズム)と呼ぶのだと言う(誤読かも)。人文主義というのは古代ギリシャやローマといったホコリをかぶったような古臭いなにかではないようだ

www.yuhikaku.co.jp


身体、経験、習慣、理念

民主主義のつくり方 | 宇野重規

生まれたばかりの赤ん坊にとって、世界とは混沌であろう。しかしながら、やがて赤ん坊は身体を動かすことで世界に触れていく。身の回りの出来事のうちにパターンを読みとり、その意味を知るようにもなる。さらに赤ん坊は言葉を学習する以前から、相互行為を始めている。言語なしでも、人間は経験を重ねていくのである。

多様な経験を繰り返すことで、人々は習慣を形成し、そのような習慣は最終的には一つの規範の周辺に集まってくる。多くの人が納得し、意味があると思う習慣のみが生き残っていくからである。

理念は、あくまで行為においてのみ具現化されるものである。何も理念がそれ自体として存在して、世界を動かすわけではない。

偶然のなかから多様な習慣が生まれ、それらが定着していくことを通じて、次第に世界が安定化していく

プラグマティズムがなんなのかまだ全然理解出来ていないけども「最初に行動(行為)がある」ということだと思う。そこがとても心に響いた。それから民主主義とかちょっと自分からは遠いなあ、とか思っていたけどもこの本を読んで、そんなことはないな、と思った。

リプリーズ しとくと、

民主主義とは、自分たちの(社会の)問題を、自分たちで考え、自分たちの力で解決していくこと

インターネットはその最初からそういうものだったはずだ。


そして、今週末のプレイリスト

プレイリストに30分を超える曲を突っ込むことを躊躇しなくなったことと、とにかく分厚い本を躊躇なく積み増すようになったことは一体のような気がしなくもない。

今週末の良かったこと


民主主義のつくり方 宇野重規

https://twitter.com/taizooo/status/1355042846189834242

宇野重規「民主主義のつくり方」見た目の地味さに騙されちゃダメでメチャ面白い。序文「はじめに」でいままでなんとなく集めてた断片(プラグマティズムとは)や生活の営み(洗濯物を畳む)がバンと音を立てて繋がった

民主主義のつくり方、一番最初に知ったのは2019/5月だった。引用だった。

『民主主義のつくり方』(筑摩書房) - 著者:宇野 重規 - 鷲田 清一による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

以前、この人が〈身体〉という概念を用いて政治史を論じている文章にふれて、とても新鮮に感じたことがある。近代という時代に、社会を人体のように一つにまとめる「超越的な秩序」が不在となって、統合ではなく対立や分断を内に抱えていることがむしろ社会の構成要件になってゆくそのプロセスが、〈脱身体化〉としてとらえられていた。本書ではその視点が、民主主義の未来を展望するなかで、〈習慣〉という視点へと深められている。

このときにガツッと持っていかれたのは「統合ではなく対立や分断を内に抱えていることがむしろ社会の構成要件になってゆく」の方だった。それが2021/1月には「民主主義」「習慣」「身体」という言葉にガツンと嵌った。

畳むべき洗濯物を畳む

自分にとって日常で一番「身体」と「習慣」を意味するものは「洗濯物を畳む」ことだったりする。

洗濯物 from:taizooo - Twitter Search / Twitter

https://twitter.com/taizooo/status/1354770149249740802

毎晩毎晩、畳むべき洗濯物を畳んでいたら、プラグマティズムに繋がってしまった

科学の方法

それとは別にプラグマティズムに近づいた瞬間があってそれがこれだった。2020/3月。

陸上競技,研究,コーチング:あるいは理論と実践のはざまで - 陸上競技の理論と実際 - | 筑波大学 陸上競技研究室

最後に出てくるのが「科学の方法」です.この方法の画期的な要素は,「信念を,人間的なものによってではなく,人間の外の永遠なもの,つまり人間の思考によって左右されないものによって決定するもの」(パース,1968,p74.)に求めることにあります.そして,彼は「科学の方法」が他の方法よりも優れていることを主張しました

それはチャールズ・サンダース・パースだった。「科学の方法」そのときのメモには「理論と実践」と残されていた。このページの参考文献に

パース(1968)上山春平, 山下正男訳.論文集.中央公論社.

とあった。

中央公論社 世界の名著〈第48〉パース,ジェイムズ,デューイ (1968年)

プラグマティズム - Wikipedia

プラグマティズムは1870〜74年の私的なクラブに起源を有する思想であり、その代表的なメンバーとしてチャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズらがいる。

ここで初めてこの3人と「プラグマティズム」という言葉を認識した。

バンと音を立てて

こうやってなにかの拍子にそれまでにあちこちフラフラと寄り道してきたあれやこれやがバンと音を立てて繋がったりする、という話を「今週末の良かったこと」として記録しておく。


そして、今週末のプレイリスト

一曲目はエイフェックス・ツインの "Xtal"

渋滞について

朝、通勤のときにいつもの道が混んでて、急遽、道を変えてリカバリーした。「今日は混んでるなー」とは思ったもののなんの疑いもなくいつものとおりに運転していた。なんとなく混んでいる状態から完全に渋滞するまでに10分くらい掛かっていて、その間に別ルートに変更するチャンスが3回あったけども、なんのアクションも起こさなくて、「あれ? これヤバイやつでは」と気がついたのは、その3回ある最後の交差点だった。

なんの疑いもなかった。考えていないというか、全くの無感情だった。周りのクルマもなんの疑いもなくノロノロとクルマを進めていたので同じだったと思う。

習慣というか、硬直化していると思った。こういうときにはこうする、みたいな選択肢をいつも持っていないとヤバイと思った。


民主主義のつくり方 | 宇野重規

  • 「はじめに」

習慣が極度に固定化され、変化しなくなれば、それは物質に近づいていく。硬直化し、化石化した習慣によってがんじがらめになった人々は、あたかも歳をとり、老化したようになる。

  • 「第一章 民主主義の経験」3 戦後日本における経験

経験を喪失することは人間性に対する重大な危機であり、経験が完全に固定化し「化石化」したとき、人間は環境との接触を失い、世界から孤立してしまうと考えた。

皆さん、よくぞ金曜日までたどり着きました

https://taizooo.tumblr.com/post/168552673370
taizooo.tumblr.com

私はこの番組のメインパーソナリティであるジェーン・スーさんという女性の、ラジオを聴いているありとあらゆる人間と生活の形を、まるで背中をポンポンと叩きながら抱きとめてくれるような言葉を耳にするたびに、いつもたまらない気持ちになります。

彼女は毎週金曜日になると、必ず「皆さん、よくぞ金曜日までたどり着きました」と言います。

誰かに言ってほしくても言ってもらえないこと、誰かに話したくても話せないこと、一人でどうしようもなく考え込んでしまうとき、そういう生活の中のちょっとした隙間を埋めてくれるラジオの存在に、毎日ちょっとずつ支えられている

vomilog, 2017年、習慣になったこと

自分たちの問題を、自分たちで考え、自分たちの力で解決していく

民主主義のつくり方 | 宇野重規 ー 「はじめに」

民主主義とは、自分たちの社会の問題を、自分たちで考え、自分たちの力で解決していくことのはずだ。

この理念を完全に放棄するとき、私たちは、端的に無力になる。どこかで誰かが、あるいは何らかのシステムが、自分たちの欲求を調整してくれることを期待している私たちは、すでに自らの運命を誰かに委ねてしまっている。

生活の多くの場面で、人間はすべての証拠がそろう前に判断しなければならない。最終的な答えがわからないにもかかわらず、一つの選択肢に命運をかけることを余儀なくされることもしばしばだ。そのような決断こそが人間の宿命である

day in and day out

たぶん自分は同じことを繰り返しやり続けることについての耐性が高くて、世にいう「習慣」として続けていることが多い。

ベストオブ・ザ・イヤーなアレとか FUNKstudy (ファンク探求の旅)とか BACHstudy (クラシカル・ミュージック探訪の旅)とか積読を積んだり崩したりすることとか「畳むべき洗濯物を畳む」とか「今週末のプレイリスト」とか「今週末の良かったこと」とか「適当に身体を動かすこと」とか。

とにかく毎日やる、毎週やる、毎月やる、毎年やる、ただそれだけだったりする。姿形はどうでもよくて「とにかく今回もやった。オレはやったのだ」と自分の記憶に残すこと。

「今週末の良かったこと」なら最悪はただ一行残すだけでもイイと思って書き始める。実際のところいまだに一行で終わったことはない。「適当に身体を動かすこと」だったら「休憩時間にはイスに座らない」レベルまで要求レベルを下げたりする。実際のところいまだに毎日ランニング出来たことはない。しょせん毎日続けられることしか毎日続けられない。生き延びた者だけが生き延びることが出来るのだ。

そんなだから残さずログに記録することにはあまり賛成しない。それは正のフィードバックのときには天を突き抜けるくらい大きなテコの原理として働くけれど、負のフィードバックのときにはあっという間に地の底まで真っ逆さまだから。記憶の適当さに頼る。都合が悪い事は全部忘れちゃう。イイことだけ覚えてる。


とにかく、毎日毎日、毎週毎週、毎月毎月、毎年毎年。

2021年になってここの「今週末の良かったこと」、はてなブログじゃなくて gist にでも移そうかと思っていた。
でもそうやって個々個々にいろんなものを分散させるよりはなんでもかんでも一箇所に突っ込む方が今の気分かもなんて思い直して踏みとどまった。というわけで、「今週末の良かったこと」以外のどうでもイイこととかをここに post しようかと思ったりしている。
馬鹿みたいに続けることにだけ意味がある。

今週末の良かったこと

「史上最悪のインフルエンザ」、読了した。

史上最悪のインフルエンザ【新装版】 | みすず書房

クロスビーは本書で、世界情勢と流行拡大の関連のようなマクロな事象から一兵卒の病床の様子まで、1918年のパンデミックの記録を丹念に掘り起こしている。特に大都市での流行が「グランギニョール的カオス」に至る様は、読者のこの病への畏怖を新たにさせずにはいられない。

原題は "america's forgotten pandemic" つまり「アメリカの忘れられたパンデミック」。アメリカでのスパニッシュ・インフルエンザの記録。
アメリカは20世紀初めに吹き荒れたインフルエンザの大流行を忘れてしまった。最終章になぜ忘れてしまったのかについての考察が載ってる。だから一番最初に読んだ。
うんと端折ると、個人個人の悲惨な経験は記憶されたが社会全体としてはすっかり忘れ去ってしまった。

自分たちはこの COVID-19 のパンデミックをどのように記憶するのか、はたしてすっかり忘れてしまうのだろうか?

正月休みに積んだ3冊 のうち2冊を倒した。

次は「暴力と不平等の人類史」いく。分厚くてラスボス感満載。


そして、今週末のプレイリスト。
記念すべき20個目。いままでで一番曲数が少ない。

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