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https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2020/02/10/185010
グリックの「タイムトラベル」によると、時間は過去から未来へと流れる、と、強く意識されるようになったのは、H.G.ウェルズの「タイムマシン」の影響が大きかったそうだ。そもそもタイムトラベルという語は「タイムマシン」の主人公にたいする呼び名、「タイムトラベラー」が由来だったりする。タイムトラベルという概念の影響は大きくて、科学も哲学もそれから逃れられなかった。H.G.ウェルズ自身ものちのコメントで、「タイムマシン」の小説をどう構想したのかについて問われたときに、自分自身の思考がタイムトラベルという概念に書き換えられてしまっていて、その当時の自分には戻れない、みたいなことを言っていたらしい
ことばがイメージに先行する。このことを忘れてはいけないと思う。
Interlude 1
祝祭は開幕した。
祝祭には呪いを掛ける役割がある。それはマジナイでもありノロイでもある。呪いは文字、言葉、音楽に乗って伝わる。取り憑く。取り憑かれる。
すでに誰もが知っているように Web には深さと奥行きが存在する。ブラウザの左上の端には原点が、左右つまりX軸の方向には空間が、上下つまりY軸の方向には時間が、そして画面手前から奥つまりZ軸の方向には私とあなたが存在する。この発見には tumblr の dashboard 、twitter の time line 、そして AutoPagerize の誕生を待つ必要があった。2007年の春のことだ。われわれはスクロールで過去へも未来へも自由に行き来できるようになった。
チャンギージーが言うように、人は死者との対話を実現した。文字、言葉、音楽を介して。自然の姿から文字を、自然が鳴らす音から言葉を、人々が振る舞う様から音楽を生み出した。印刷、録音、映像を介して、過去から未来、あらゆる人々との対話が行われるようになった。科学や工学の進歩はまさに時間を自由に移動するためにあった。
Interlude 2
「では弾くよ。」
ゴーシュは何と思ったか扉とにかぎをかって窓もみんなしめてしまい、それからセロをとりだしてあかしを消しました。すると外から二十日過ぎの月のひかりが室へやのなかへ半分ほどはいってきました。
「何をひけと。」
「トロメライ、ロマチックシューマン作曲。」猫は口を拭ふいて済まして云いました。
「そうか。トロメライというのはこういうのか。」
セロ弾きは何と思ったかまずはんけちを引きさいてじぶんの耳の穴へぎっしりつめました。それからまるで嵐のような勢いきおいで「印度の虎狩」という譜を弾きはじめました。
すると猫はしばらく首をまげて聞いていましたがいきなりパチパチパチッと眼をしたかと思うとぱっと扉の方へ飛びのきました。そしていきなりどんと扉へからだをぶっつけましたが扉はあきませんでした。猫はさあこれはもう一生一代の失敗をしたという風にあわてだして眼や額からぱちぱち火花を出しました。するとこんどは口のひげからも鼻からも出ましたから猫はくすぐったがってしばらくくしゃみをするような顔をしてそれからまたさあこうしてはいられないぞというようにはせあるきだしました。ゴーシュはすっかり面白おもしろくなってますます勢よくやり出しました。
Interlude 3
最初は中国、武漢での出来事だった。しばらくしてそれは横浜港沖のクルーズ船での出来事になった。そのうちにそれは日本、世界での出来事になった。そしてそれは半径3mでの出来事になった。ソーシャルディスタンス。
人類の危機っていうのは、突然の小惑星の衝突、スーパーコンピュータの暴走、宇宙からの未確認生物の襲来、バイオハザードによるゾンビとの戦い、と相場は決まっていた。本当の危機っていうのは、こんなふうにやって来るのか、なんて気がついたのはつい最近のことだ。いや、まだ気がついていないのかもしれない。人というのは今、この瞬間がその時なのだと認識することが出来ない。三年日記を振り返っても決定的ななにかが記されることはなかった。
誰もが真実を知りたがっていた。でも、誰もが欲しがっていたのは決定的ななにか、つまり、目の覚めるようなシュートだったり、天井にぶち当たるホームランだったり、天下無敵の凄腕ハッカーだったり、または銀の弾丸だったりした。残念なことに、実際のそれは、マスク、手洗い、毎朝毎晩の検温と至極平凡な形をしていた。
こんなふうに右往左往するわたしたちや、感染者数のテロップをたれ流すテレビジョンや、左右にウロウロするマウスカーソルや、ひたすら上下にスクロールするスマートフォンを尻目に、科学や医学や工学や、音楽や文学や映画や、そして街々の人々はそれぞれの持ち場で世界を先に進めていた。
9
サッカーが帰ってきた。 ちょっとばかりの雨に降られたところでだからどうした。
https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2020/07/13/183311
ウォーミングアップでゴールキーパーがピッチに入ってくるときに、すでに泣きそうだった。ヤバかった。そしてフィールドプレイヤーが入ってきて、スタンドに向かって手を振ったとき、もうダメだった。根こそぎ持っていかれた。この感情をなんと言えばよいのか。
でも、拍手が我慢出来なかった。手を叩くというのがこんなにもプリミティブな、感情的な行為だったのかと驚いた。手を叩く、手を振る、手を掲げる。
とにかく、サッカーが帰ってきたのだ。なんの文句があるものか。
Interlude 4
「さあ出て行きたまえ。」楽長が云いました。みんなもセロをむりにゴーシュに持たせて扉をあけるといきなり舞台へゴーシュを押出してしまいました。ゴーシュがその孔のあいたセロをもってじつに困ってしまって舞台へ出るとみんなはそら見ろというように一そうひどく手を叩たたきました。わあと叫んだものもあるようでした。
「どこまでひとをばかにするんだ。よし見ていろ。印度の虎狩をひいてやるから。」ゴーシュはすっかり落ちついて舞台のまん中へ出ました。
それからあの猫の来たときのようにまるで怒った象のような勢きおいで虎狩りを弾きました。ところが聴衆はしいんとなって一生けん命聞いています。ゴーシュはどんどん弾きました。猫が切ながってぱちぱち火花を出したところも過ぎました。扉へからだを何べんもぶっつけた所も過ぎました。
曲が終るとゴーシュはもうみんなの方などは見もせずちょうどその猫のようにすばやくセロをもって楽屋へ遁げ込みました。すると楽屋では楽長はじめ仲間がみんな火事にでもあったあとのように眼をじっとしてひっそりとすわり込んでいます。ゴーシュはやぶれかぶれだと思ってみんなの間をさっさとあるいて行って向うの長椅子へどっかりとからだをおろして足を組んですわりました。
するとみんなが一ぺんに顔をこっちへ向けてゴーシュを見ましたがやはりまじめでべつにわらっているようでもありませんでした。
「こんやは変な晩だなあ。」
ゴーシュは思いました。