copy and destroy

catch and eat

サーキットブレーカーが切れる

脳の処理能力を超えるとサーキットブレーカーが切れる - taizooo

  • 脳の処理能力を超えるとサーキットブレーカーが切れる
  • ある事案が起きて寄って集ってみんなで状況判断しているときに、論理的思考な人がちょっと冗長に議論をさかのぼって整理し始めたとたん、急に防御的に怒りの感情を表す人がいて「エッ?!」って驚いたんだけど、後から考えるに、おそらく彼(論理的思考な人)がしようとしていたことが理解出来なくて(もしくは言っていることが理解出来なくて)自分が攻撃されている、否定されている、と感じたんじゃないかと思った
  • こういうことで敵と味方の区別がつかなくなる人がいるんだなーと思った
  • こういう反応は理性的なレイヤーじゃなくて感情的なレイヤー(つまり本能)で起きていることなので、他者として関与することが出来ない
  • そういう人もいる、という理解が必要
  • 思い起こすに、このようなことは大小はあるけども時々起きていて、老若男女を問わない感じなので、人類に共通な性質なのかもしれない
  • 脳の処理能力を超えちゃうとサーキットブレーカーが切れちゃうみたいなイメージ
  • サーキットブレーカーが切れたとたんに思考能力はゼロになる
  • 歴史上、人類は、生存戦略的に、そのように振る舞う方が、生き延びる可能性が高かったのだろう

今週末の良かったこと

「フンボルトの冒険」、読了した。

原題は "The Invention of Nature" つまり「自然を発明した」。
ここでいう自然というのは「生命の網」"the Web of Life" のことを言う。
自然は一つ一つバラバラの事象がてんでバラバラに存在いているのではなくて、その全体繋がり広がりに本質があるということを意味している。
フンボルトの時代、博物学の時代、そのころはまだ科学や哲学や文学が分岐していなくて一つの大きな塊だった。なんと政治さえも科学と結びついていた。
それを示すために「フンボルトの冒険」の中ではフンボルトとお互いに影響し合った人たちがそれぞれに章を与えられている。


フンボルトの冒険 自然という<生命の網>の発明 | NHK出版

  • 第2章 想像力と自然──ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテとフンボルト
  • 第8章 政治と自然──トーマス・ジェファーソンとフンボルト
  • 第12章 革命と自然──シモン・ボリバルとフンボルト
  • 第17章 進化と自然──チャールズ・ダーウィンとフンボルト
  • 第19章 詩、科学、自然──ヘンリー・デイヴィッド・ソローとフンボルト
  • 第21章 人間と自然──ジョージ・パーキンス・マーシュとフンボルト
  • 第22章 芸術、生態学、自然──エルンスト・ヘッケルとフンボルト
  • 第23章 保存と自然──ジョン・ミューアとフンボルト


そうそうたる面々だ。

ゲーテってあのゲーテだ。「若きウェルテルの悩み」とかの。あとになってわかったんだけど、ゲーテは科学者でもあった。このころは科学と文学、芸術は分かつことが出来なかったみたいな。「ファウスト」のファウスト博士にはフンボルトの影があるとかなんとか。

そしてダーウィンはビーグル号での航海にフンボルトの「新大陸赤道地方紀行」を携えていったそうだ。

というわけでフンボルトの「自然の諸相 熱帯自然の絵画的記述」を積読に積んだ。
で、次は「史上最悪のインフルエンザ」を読む。積読山脈を崩す。予定は未定。


そして今週末のプレイリスト。

今週末の良かったこと


世界中のシューズの中で一番愛しているのはスリッポンだ。VANS のスリッポン

ということでヴァンズのスリッポンを買った。

昨年の正月に「US7H(25.5cm)だったシューズのサイズがUS9(27.0cm)になった」と言っていたけれども一年たって今年はUS10(28.0cm)になった。

ずっと右足首の捻挫がクセになっていて左足と右足の筋力や柔軟性のバランスが悪かった。野球とか球技をやったことがある人は知っていると思うけど、握力を鍛えるために風呂とか水の中でグーパーする、という原始的なエクササイズがある。よく考えたら手と足は相同な構造なので、足を鍛えたかったら同じようにグーパーだろう、ってことでここ何年か習慣として続けていた。結果、足のサイズが大きくなった(なぜか横だけじゃなくて縦にも)。

とくにここ最近、指を開く感覚は第三関節からじゃなくてその根元の付け根のところなのだとわかるようになったら、さらに足が大きくなったような気がする。


via The Big Book of Endurance Training and Racing | Philip Maffetone

履いている靴がことごとく小さくなってしまった。足のヘルシーは回復したけど履けるシューズが減ってしまった。困っている。


そして今週末のプレイリスト。

今週末の良かったこと

2020年のベスト・オブ・ザ・イヤー・アドベントカレンダーが無事完走した。今回止まったのはこの「今週末の良かったこと」とマンガだった。音楽とランニングは止まらなかった。

そんなわけで正月休みが始まって終わった。「今週末の良かったこと」も頑張って書いてみる。


正月休みが始まって一番最初にしたのは本屋へ行って本を買ったことだった。衝動的に厚い本が読みたくなって手当り次第にそのへんにある分厚い本をむんずと掴んでレジに走った。

ちょっとウソで買った本のうち2冊は前々から読みたいと思っていた。

「史上最悪のインフルエンザ」、実は2020年のアレの記事を書く時にその参考にしようと思っていた。けど買わなかった。それについて触れなかったから。

「フンボルトの冒険」、これは前々から読もう読もうと思っていて手が出なかったヤツ。フンボルトはダーウィンを追いかけている場合において、tumblr でいうところの dashboard の底の、その先に位置する。つまりそのままだと到達出来ない。ジャンプというかシフトが必要になる。バンドギャップをジャンプするみたいな。あらゆるリンクはギャップをジャンプすることで自由自在に移動出来るようになる。そのきっかけは誤読だったり誤解だったりする。予期せぬエラー。予定調和としてのエラー。

「暴力と不平等の人類史」はその厚さと装丁の格好良さから、完全に衝動買い。

石器時代から現代まで人類の富を平等化させてきたものは何だったのか。歴史的データを分析し、平等化メカニズムをつきとめた意欲作

平等化メカニズムを担う4人の騎士の名は「戦争」「革命」「崩壊」そして「疫病」。なんとここでもたまたまシンクロ。予期せぬエラー。予定調和としてのエラー。

この先、積読になるのは目に見えて明らかなので、初速が重要! ということでとにかく勘で一番カロリーの高そうなページを読んだ。3冊ともなんとか目を通した。



via https://scrapbox.io/cd/muxtape_017_%2F_shoshana_%7C_taizooo
https://open.spotify.com/playlist/2ooezRXo1Mx1TvYafPYjQf

「今週末のプレイリスト」という名前で金曜日の夜に作っている spotify のプレイリストというかミックステープ的なソレは2020年のアレの間も、そしてこの正月も止まらなかった。そういう意味では音楽の呪いは解けなかったと言える。もしかしたら呪いが深まったのかもしれない。

ごくごく個人的な体験のためのリストなので、共有する意味があるのかよくわからない。なぜ共有しているのだろうとか考える。ランニングではアクティビティのログを残していないので当てずっぽうだけどそれと同じような「軌跡」を残したい欲はあるかもしれない。広大な音楽の平原? トレイルに自分の通った道筋を描きたいみたいなそういう欲望が。広大な音楽の原野に、アンカーを打ちこむみたいな。生きている証とかいうと大げさだけども。

2020年を探す


1

http://taizooo.tumblr.com/post/22158237389

好きってことは呪いのようなものだ

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2018/12/24/134610

毎年12月は、習慣になっていることが止まる。止まる理由はいろいろあるんだけど、まあ、そのうちの一つにはコレとかが含まれる。 で、習慣になっていることが止まることが悪いことなのかというと、必ずしもそうとも言えなくて、これを自分は「呪いを解く」と呼んでいる。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2018/12/06/205640

「茶断ち」というものがある。願いが叶うことを祈ってお茶を断つ、というものだ。コーヒーは呪いのようなものだ。それはマジナイでもありノロイでもある

https://scrapbox.io/taizooo/%E5%91%AA%E3%81%84%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F%E8%A9%B1

祝祭には呪いを解く役割がある

2

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2018/02/15/174906

本を読むことは、自分が実際に過ごしている時間とは別の時間軸を持つことになる。そして、そのスピードを上げたり下げたり、ページを飛ばしたり戻ったりすることで、時間を伸ばしたり縮めたり早送りしたり巻き戻したり出来る。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2019/12/23/163635

時間を伸ばしたり縮めたりする

ささやかな逆走ではなくて、そうじゃなくて時間軸は自由に移動出来るんじゃないか、という。グレン・グールドが録音に向かっていったのも、ターンテーブル2台、レコード2枚でビートを延々と鳴らし続けることも、アインシュタインが言っていることも全部つながっている、みたいな

3

https://i-d.vice.com/jp/article/qvq5j3/miyako-ishiuchi-interview-in-the-beginning-there-was-the-scar-01

眼に見えず、触れられず、匂いもせず、音もせず、味わえない。五感のすべてを否定しているのが時間なんだよ

4

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2020/02/10/185010

グリックの「タイムトラベル」によると、時間は過去から未来へと流れる、と、強く意識されるようになったのは、H.G.ウェルズの「タイムマシン」の影響が大きかったそうだ。そもそもタイムトラベルという語は「タイムマシン」の主人公にたいする呼び名、「タイムトラベラー」が由来だったりする。タイムトラベルという概念の影響は大きくて、科学も哲学もそれから逃れられなかった。H.G.ウェルズ自身ものちのコメントで、「タイムマシン」の小説をどう構想したのかについて問われたときに、自分自身の思考がタイムトラベルという概念に書き換えられてしまっていて、その当時の自分には戻れない、みたいなことを言っていたらしい

ことばがイメージに先行する。このことを忘れてはいけないと思う。

Interlude 1

祝祭は開幕した。

祝祭には呪いを掛ける役割がある。それはマジナイでもありノロイでもある。呪いは文字、言葉、音楽に乗って伝わる。取り憑く。取り憑かれる。

すでに誰もが知っているように Web には深さと奥行きが存在する。ブラウザの左上の端には原点が、左右つまりX軸の方向には空間が、上下つまりY軸の方向には時間が、そして画面手前から奥つまりZ軸の方向には私とあなたが存在する。この発見には tumblr の dashboard 、twitter の time line 、そして AutoPagerize の誕生を待つ必要があった。2007年の春のことだ。われわれはスクロールで過去へも未来へも自由に行き来できるようになった。

チャンギージーが言うように、人は死者との対話を実現した。文字、言葉、音楽を介して。自然の姿から文字を、自然が鳴らす音から言葉を、人々が振る舞う様から音楽を生み出した。印刷、録音、映像を介して、過去から未来、あらゆる人々との対話が行われるようになった。科学や工学の進歩はまさに時間を自由に移動するためにあった。

5

https://tabesugi.net/memo/2020/1.html#260956

世界はだまされたがっている

https://tabesugi.net/memo/2011/c.html#311352

ある暗黙の了解があった。 それは、知っているものは語らない。知らないものは尋かない。 そして尋いたものには答が与えられないというものである

7

https://scrapbox.io/taizooo/2020%2F03#5e71fa71b30c0100006eeab6

コピー・アンド・ペーストを繰り返しているうちに、不安、恐怖といった雰囲気が、興味、好奇心といったものに変化しつつある。感情、情動といったところから、理性に降りてきた感じというか

https://twitter.com/taizooo/status/1240135585815318540

不謹慎、不適切な言い方かもしれないけど凄い面白い。そしてエキサイティング。

ここに希望を見出した

8

https://taizooo.tumblr.com/post/614901713191714816

もともと日記を書いている人、このタイミングに日記を書き始める人、その日記を切り出して tumblr に放流する人。 2020年って感じだ。2020年。この感じが2020年。

Interlude 2

「では弾くよ。」

 ゴーシュは何と思ったか扉とにかぎをかって窓もみんなしめてしまい、それからセロをとりだしてあかしを消しました。すると外から二十日過ぎの月のひかりが室へやのなかへ半分ほどはいってきました。

「何をひけと。」
「トロメライ、ロマチックシューマン作曲。」猫は口を拭ふいて済まして云いました。
「そうか。トロメライというのはこういうのか。」

 セロ弾きは何と思ったかまずはんけちを引きさいてじぶんの耳の穴へぎっしりつめました。それからまるで嵐のような勢いきおいで「印度の虎狩」という譜を弾きはじめました。

 すると猫はしばらく首をまげて聞いていましたがいきなりパチパチパチッと眼をしたかと思うとぱっと扉の方へ飛びのきました。そしていきなりどんと扉へからだをぶっつけましたが扉はあきませんでした。猫はさあこれはもう一生一代の失敗をしたという風にあわてだして眼や額からぱちぱち火花を出しました。するとこんどは口のひげからも鼻からも出ましたから猫はくすぐったがってしばらくくしゃみをするような顔をしてそれからまたさあこうしてはいられないぞというようにはせあるきだしました。ゴーシュはすっかり面白おもしろくなってますます勢よくやり出しました。

Interlude 3

最初は中国、武漢での出来事だった。しばらくしてそれは横浜港沖のクルーズ船での出来事になった。そのうちにそれは日本、世界での出来事になった。そしてそれは半径3mでの出来事になった。ソーシャルディスタンス。

人類の危機っていうのは、突然の小惑星の衝突、スーパーコンピュータの暴走、宇宙からの未確認生物の襲来、バイオハザードによるゾンビとの戦い、と相場は決まっていた。本当の危機っていうのは、こんなふうにやって来るのか、なんて気がついたのはつい最近のことだ。いや、まだ気がついていないのかもしれない。人というのは今、この瞬間がその時なのだと認識することが出来ない。三年日記を振り返っても決定的ななにかが記されることはなかった。

誰もが真実を知りたがっていた。でも、誰もが欲しがっていたのは決定的ななにか、つまり、目の覚めるようなシュートだったり、天井にぶち当たるホームランだったり、天下無敵の凄腕ハッカーだったり、または銀の弾丸だったりした。残念なことに、実際のそれは、マスク、手洗い、毎朝毎晩の検温と至極平凡な形をしていた。

こんなふうに右往左往するわたしたちや、感染者数のテロップをたれ流すテレビジョンや、左右にウロウロするマウスカーソルや、ひたすら上下にスクロールするスマートフォンを尻目に、科学や医学や工学や、音楽や文学や映画や、そして街々の人々はそれぞれの持ち場で世界を先に進めていた。

9

サッカーが帰ってきた。 ちょっとばかりの雨に降られたところでだからどうした。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2020/07/13/183311

ウォーミングアップでゴールキーパーがピッチに入ってくるときに、すでに泣きそうだった。ヤバかった。そしてフィールドプレイヤーが入ってきて、スタンドに向かって手を振ったとき、もうダメだった。根こそぎ持っていかれた。この感情をなんと言えばよいのか。

でも、拍手が我慢出来なかった。手を叩くというのがこんなにもプリミティブな、感情的な行為だったのかと驚いた。手を叩く、手を振る、手を掲げる。

とにかく、サッカーが帰ってきたのだ。なんの文句があるものか。

10

ぐおっ ふわっ





via スインギングドラゴンタイガーブギ 第17話 https://morning.kodansha.co.jp/c/swingindragontigerboogie/

11

「続きはまた今度」


via BRUTUS 2020年 6月15日号 No.917 https://www.amazon.co.jp/dp/B0897S5F2S

https://scrapbox.io/hub/%E7%B6%9A%E3%81%8D%E3%81%AF%E3%81%BE%E3%81%9F%E4%BB%8A%E5%BA%A6

講談は歴史上の人物や出来事を脚色して面白く大衆に伝える芸事。現代においては、その役割の大半をマンガが継承して担っていると思うんです。 毎週1話の連載というのも、「続きはまた今度」という高座のよう。本来、講談師がもっと頑張らなきゃいけない部分であり、申し訳ないような、悔しいようなという心持ちでマンガを読んでいます

12

Adventures of a Bystander (傍観者の冒険)


via https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0081MAL9O

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/12/pf-5b22.html

青年はウィーンを出るのだと堅く心に決めていた。産まれた街を捨てるのだと決めていた。それが青春ということのすべてだった。

https://scrapbox.io/taizooo/%E5%82%8D%E8%A6%B3%E8%80%85%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3

自分の目で見、自分の頭で考えることはよいことだ。でも屋根の上から叫んで人を驚かせることは感心したことじゃないんだよ」

これは傍観者がよくいわれることである。


via さよなら私のクラマー 最終話 http://www.gmaga.co/comics/clamor/



Interlude 4

「さあ出て行きたまえ。」楽長が云いました。みんなもセロをむりにゴーシュに持たせて扉をあけるといきなり舞台へゴーシュを押出してしまいました。ゴーシュがその孔のあいたセロをもってじつに困ってしまって舞台へ出るとみんなはそら見ろというように一そうひどく手を叩たたきました。わあと叫んだものもあるようでした。

「どこまでひとをばかにするんだ。よし見ていろ。印度の虎狩をひいてやるから。」ゴーシュはすっかり落ちついて舞台のまん中へ出ました。

 それからあの猫の来たときのようにまるで怒った象のような勢きおいで虎狩りを弾きました。ところが聴衆はしいんとなって一生けん命聞いています。ゴーシュはどんどん弾きました。猫が切ながってぱちぱち火花を出したところも過ぎました。扉へからだを何べんもぶっつけた所も過ぎました。

 曲が終るとゴーシュはもうみんなの方などは見もせずちょうどその猫のようにすばやくセロをもって楽屋へ遁げ込みました。すると楽屋では楽長はじめ仲間がみんな火事にでもあったあとのように眼をじっとしてひっそりとすわり込んでいます。ゴーシュはやぶれかぶれだと思ってみんなの間をさっさとあるいて行って向うの長椅子へどっかりとからだをおろして足を組んですわりました。

 するとみんなが一ぺんに顔をこっちへ向けてゴーシュを見ましたがやはりまじめでべつにわらっているようでもありませんでした。

「こんやは変な晩だなあ。」
 ゴーシュは思いました。

13

100 Days To Offload 、100個の post 。


via https://scrapbox.io/hub/100DaysToOffload-activity

https://scrapbox.io/hub/%E7%AA%93%E3%81%AE%E5%A4%96%E3%81%AEBGM

時事問題の騒音をBGMにしてしまうのが古典である。同時に、このBGMの喧噪はあくまでも必要なのだ。

https://scrapbox.io/hub/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B6%E3%81%AA%E3%80%81%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B9%EF%BC%81

それは、ソーシャルミュージックなんだ

https://scrapbox.io/hub/%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E6%84%9F%E5%8F%97%E6%80%A7%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%84

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

14

2014年に始まったファンクをたどる旅は、2018年、ひょんなきっかけからクラシカル・ミュージックをめぐる旅になった。そして2020年、ジョン・ケージにたどり着いた。ジョン・ケージを原点にとると世界の音楽は、ジョン・ケージ以前、ジョン・ケージ自身、ジョン・ケージ以降の三つに区分される。


via https://www.youtube.com/watch?v=el8JZ51R6A8

https://www.happano.org/8-johncage

その中にこんな問いがあった。「世界でもっとも美しい音楽はなにか」とね。英雄たちが次々に答えていって、最後の者が「何かが起きたときの音が、世界でもっとも美しい」と言って、それが最高の答えだとみんな思ったというわけ。

15

毎週、その週末のためのプレイリストを作るようになった。そのなかに、マイク・クーパーの "Bad Tempered Unprepared Guitar" という曲があった。


via https://open.spotify.com/album/7prUywPrFB9MfIQ5dYhWPB

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88

ウェル・テンペラメント(英: Well-Temperament)は、鍵盤楽器で24の全ての調の演奏に対応する調律をするための音律である。 この調律法はバッハの『平均律クラヴィーア曲集』の原題 "Das Wohltemperierte Clavier" (The Well-Tempered Clavier) に因んで20世紀に命名された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E

プリペアド・ピアノ または プリペアード・ピアノ(英: prepared piano、文字通りには「準備されたピアノ」の意)は、グランドピアノの弦に、ゴム、金属、木などを挟んだり乗せたりして(これを「プリペアする」「プリパレーションを施す」などという)音色を打楽器的な響きに変えたものをいう。

調律されていない準備されないギター。言葉遊び。シャレている。

Bad Tempered Unprepared Guitar

願わくば大好きなこの場所が、調整されていない不用意なインターネットであり続けますように。

Bad Tempered Unprepared Internet

16

ではここで古典を一席。「世界をクリックしろ」。

http://web.archive.org/web/20140823220053/http://theinterviews.jp/retlet/13554

潜って潜って誰かの古い宝物を掘り当てる。沈殿していたものが攪拌されてぐるぐると渦を巻く。新しい宝物になったそれを、また誰かが宝物にする。そうしてる間も他の誰かが放り込んだ宝物が降ってくる。ぐるぐる。渦と一緒になる。浮かんだり。潜ったり。

ぐるぐると回り続けて、そのうちぼくらはバターになる。

ちょうど時間となりました。では、続きはまた今度。


この post は 2020 Advent Calendar 2020 第1日目の記事として書かれました。
明日の第2日目は u6dbc サンです。お楽しみに。




( Interlude 1 & 3 は、オリジナル post 、 Interlude 2 & 4 は、青空文庫:宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card470.html から「印度の虎狩」の引用です)

今週末の良かったこと

スマートフォン割れる



Galaxy S10 ランニングのときに短パンの前ポケットに入れて走ってるんだけど、ポケットから飛び出てアスファルトに落ちた。ということで割れました。ちょっとくらいの画面のヒビ割れだったからまあ使えるかと思ってたんだけど、S10 の指紋認証は画面をタッチするタイプで絶妙な感じでその場所にヒビが入った。指先も擦り切れてガサガサになってしまったので交換サービスを使って入れ替えた。

以前使っていた HTC 10 は3年使って2回、交換している。今回の S10 は1年ちょっと使って1回目の交換だった。まあだいたい1年に1回壊している。ウン万円もする機械をポケットに無造作に入れていて毎年1回壊しているというのはどういったものだろうか。

入れ替えは Samsung の入れ替え用のアプリを介してあっという間に終わった。壁紙もアプリも通知とかの設定もほとんど移行された。google アカウントといくつかのアプリのアカウントを同期するだけだった。

今度はちゃんとカバーをつけたまま使用したいと思います。

ゴルトベルク変奏曲(アリア・ダ・カーポ)

scrapbox.io

一曲目、全然違う曲を当ててたけど合わなくて、次にもう一曲当てたけどダメで、一番最後の曲にするつもりだったゴルトベルク変奏曲を一曲目にした。最初は1955年録音のアルバムの一曲目(アリア)にしようと思ってたけどなんか合わなくて、1981年録音のアルバムの最後の曲(アリア・ダ・カーポ)にした。1981年録音の方がスローで、ダ・カーポの方が音が大きくて力強い。

プレイリストの最初の曲をアルバムの最後の曲にするくらいに、こじらせているし、ヘソが曲がっている。

グレン・グールドのゴルトベルク変奏曲、クラシカル・ミュージックを聴くようになったきっかけの曲で、これを初めて聴いたこの時期はオフクロの命日があったりしてちょっと思い入れがある。そういう感じ。

scrapbox.io

それから、

クルマの点検と冬タイヤへの交換と、代車が福野礼一郎が高く評価していて、いつか運転したいと思っていたミラ・イースだった。ワンタッチ・ウインカーに苦戦。墓参りやらなんやらでサッカーは観られなかった。9連戦の初戦、甲府 vs 磐田 ホーム 1-1 ドロー。山本英臣と遠藤保仁が同じピッチに立った。ドゥドゥと泉澤が故障している。正念場。

ベスト・オブ・ザ・イヤーのための文章を書こうと思いましたが進捗はありませんでした。昨年とか一昨年とか過去の自分の文章を読んで余計に無理っぽい気分になっています。もうあれだ、過去の自分は自分じゃないな。同じような文章は書けません。がんばりましょう。がんばります。

今週末の良かったこと

2020 Advent Calendar 2020

https://adventar.org/calendars/5361

今年もベスト・オブ・ザ・イヤーなアドベントカレンダーが立ち上がった。

11/10にページを作って、11/12に25枠全てが埋まった。いつも参加してくれる人、久しぶりに参加してくれた人、初めて参加する人、ちょっと気にしてくれてる人、さっと目の端に通過させてくれた人、全ての人たちに感謝したい。

ラインナップから溢れる、(オレの考える)インターネット感が半端ない


2020年、その最初があんな感じでいったいどんなふうになるんだろうか、なんて思った。そのときに twitter に投げた post がこちら。

COVID-19 なんてお構いなく #2020AC2020 は今年も開催するので、みんなそのつもりで 2020 をお過ごしください

どっちかというと誰かに投げかけたというよりは自分自身に投げかけたもの。なんとかここまで生き延びました。ということで、アドベントカレンダーを開催するにあたって三つあって、

  1. とにかく25枠を埋めること
  2. 初日は自分が post すること
  3. 25日間、完走させること

と、まず第一は達成したので次はいよいよ自分がこの場になにを post するのか、ということになります。初日です。プレッシャーが凄い。凄い。凄い。2020年も残りあとわずか。がんばりましょう。がんばります。

ベスト・オブ・ザ・イヤーなアドベントカレンダーを毎年やってて理解したのは、本当にやるべきことっていうのは、とても面倒くさい、ってことです

We Shall Be Happy


気に入ってるところ。ライ・クーダーの素朴な we shall be happy からレディオヘッドの変態5拍子な 15 step 、サン・ラ・アーケストラの新しい(!)ヤツ、そしてジョン・エリオット・ガーディナーのマタイ受難曲ってところ

週末のプレイリスト、大好きだったライ・クーダーの "JAZZ" 、その最後の曲 "We Shall Be Happy" を一曲目にした。"JAZZ" と銘打っているけども全然ジャズじゃない(じゃない?)。"We Shall Be Happy" には原曲があってその元はジョセフ・スペンスというバハマのギタリストが演奏していた。それを発掘したのがサム・チャーターズという人物で、その音源は Folkways Recordings から世に出された。

ここで円環が一つ繋がりました。

BBC radio 3 の番組のプレイリストを一つ一つ紐解いたら、いろいろ発見があった。御諏訪大鼓、弥三郎節、Smithsonian Folkways Recordings、ミサワホーム総合研究所サウンドデザイン室、WRWTFWW RECORDS(We Release Whatever The Fuck We Want)

scrapbox.io

scrapbox.io

scrapbox.io


それから、

この週末、開催される予定だった甲府 vs 愛媛の試合は、愛媛の選手に COVID-19 発症がわかり当日の朝、中止となった。そういう世界を生きているのだと突きつけられた。全然他人事じゃない。

今週末の良かったこと


毎週末のプレイリスト

毎週末、プレイリストを作るようになって通算9個目になった。プレイリストを作るようになってよかったこと。

昔、好きだった音楽、今、掘り下げている音楽、まだ、知らない音楽、新しく、この世に現れた音楽、それぞれのモザイクが作られること。何回も何回も聞くこと。知識で脳みそを埋める前に音楽を聴くこと。

昔、好きだった音楽。

1曲目は昔から親しんでいる曲から選んでいる。今週末はビートルズ、ホワイトアルバムのレボリューション No.1。ホワイトアルバム、ビートルズで一番最初に買ったアルバム。当時の自分は本当になにも知らなくて、てっきりベスト・アルバムだとおもってこれを買った。全然違ったけどしょうがなくてずっと聴いていた。レボリューション No.9 なんて本当にショックだった。そのうちチャンスがあったらレボリューション No.9とケージの4'33"をプレイリストに載せたい。

今、掘り下げている音楽。

今、掘り下げているのは ダルムシュタット夏期現代音楽講習会 Darmstädter Ferienkurse ("Darmstadt Summer Course") の音源。ドイツのレーベル "NEOS Music" のシリーズ "Darmstadt Aural Documents" の一枚。46曲、8時間35分

www.discogs.com

まだ、知らない音楽。

レディオヘッド。あんまり縁がなかった。というか、音楽と縁がなかったと言うべきか。アレックス・ロス「これを聴け」でもレディオヘッドにまるまる一章あてている。ジョニー・グリーンウッド 2019年の BBC Proms でクラシカル・ミュージックを演奏していた。全く知らないわけじゃないけど、知らない音楽。

新しく、この世に現れる音楽。

シガー・ロスの新しいアルバム。 Odin's Raven Magic はオーケストラと共演している。12月に出るらしい。楽しみ。

元々、シガー・ロスは2002年のレイキャビク・アーツ・フェスティバルでオーケストラのテイクをレコーディングしていたが、今回はアイスランド交響楽団とパリ音楽院管弦楽団の演奏者を起用している。

何回も何回も聞くこと。

金曜日にプレイリスト作ったらその夜から土曜日、日曜日じゅう聴いて、月曜日の通勤の往復、カーステレオのスピーカーを爆音で鳴らして終了。

知識で脳みそを埋める前に音楽を聴くこと。

月曜日の空き時間 Scrapbox に作ったプレイリストのメモを書いている。ここで初めていろんなことに気がついたりしている。まず聴いてから考える。そんな順番が出来つつある。

scrapbox.io

それから


via https://www.ventforet.jp/games?year=2020

先週末、思い通りにならない試合で栃木と引き分け。中2日でFC琉球戦、中山陸のリーグ初ゴールで勝利。そして中3日でアウェイ大宮戦、2-1で勝利。

先制したものの、カウンターを喰らって1-1の同点。そしてドゥドゥと大宮の山越がガチャガチャして山越がレッド退場。そしてガチガチに固められたゴールをこじ開けられず攻め続けるロスタイム6分の残り1分。泉澤がゴール前に入れたクロスを金園が胸で収めて潰れるとなぜかそこにいた内田健太がゴールにぶちこんでギリギリの勝利。

後味は良くない。良くないけど、後味とか言っているような身分ではないのだ。これがサッカーだ。そして、相変わらず、畑尾はナイスガイだった。

勝ち点は数えない。

今週末の良かったこと

謝恩塔、マフェトン、30秒


via 謝恩碑 (甲府市) - Wikipedia

甲府城跡の公園に謝恩塔が建っている。

恩賜林記念館から鉄門くぐって謝恩塔まで上って、グルっと回って、内松陰門からJR中央線沿いの公園入口まで下って、天守台石垣の方からまた謝恩塔まで上って、グルっと回って、鉄門くぐって恩賜林記念館まで下る。往復で標高差が50mくらいになる。15往復、2時間半くらい。

7月に原因不明な体調不良になってから、マフェトンや田中宏暁サンがいっている運動強度、 5 Zone Intensity の区分でいうところの Zone2 、マフェトンがいうところの MAF ハートレートを厳密に守るようになった。そうすると、この謝恩塔往復コースだと上りは全然走れない。歩き。そしてさらには往復が終わったら1分間のウォークブレイクを入れている。平らなところも走っていない。歩き。ということでほとんど歩き。ランニングとは?

9月からときどきこのコースを走って(歩いて)たんだけど、3週間前はだいたい1周、9'20" ~ 9'30" だったのが今回、9'05" ~ 9'10" になった。進歩した。30" の短縮はすごい大きい。でも全然走れないし、走れるようになる気がしない。いつか急に走れるようなイメージを持っていたけど、どうもそういうもんじゃないみたい。この体感できないちょっとした進歩がどういう感じに進むのか。興味津々だったりする。

謝恩塔、甲府盆地、御坂山地、南アルプス

謝恩塔をグルっと回ると甲府盆地が見える。甲府城は一条小山という愛宕山(秩父山系の南の端)の飛び地、小高い丘の上に建っている。もともとは甲府駅北側にある武田神社、躑躅ヶ崎館、武田信玄の居城の前衛にあたる出城だったらしい。だから謝恩塔の南側からは甲府盆地がガーっと見渡せる。上るたびに御坂山地、南アルプスが目に飛び込んでくる。ビルとビルの隙間から小瀬スポーツ公園もチラっと見える。


それから

毎週末のプレイリストは継続している。だんだん長い曲も拾うようになって極端に重々しくなったりしている。誰かに聴かせるつもりがない。もてなしの精神は空っぽだったりする。そうやって「今週末の良かったこと」と全く一緒になりつつある。そして、音楽については発見が増えた。


サッカーは、思ったような結果にならなかった。栃木は良いサッカーをしている。だからといって引き分けていイイわけじゃないけど。


via https://www.ventforet.jp/games?year=2020


読書はもう全然だけど、本来そこに当てるはずのリソースは全てマンガに振り向けられている。マンガだけは充実している。


そして、明日は祭日だった。2020年も残すところ2ヶ月となった。

新年を迎えるのと同じフレッシュさで、11/1を迎えたか?

今週末の良かったこと

雁坂峠と V6 3.5L + Hybrid System と紅葉


ちょっとした用件で向かった秩父へは、運転手として行った。運転したのはいつもの自分のクルマではなくて、国産車のフラッグシップといわれるモノだった。V型6気筒3.5リットルのエンジンに大きなモーターがぶら下がっている。ハイブリッドシステム。踏むと背中越しに思った以上にイイ音をならして進んで行く。

再び、法事で秩父へ向かった。運転手で。甲府盆地から雁坂峠を越えて。

そのクルマは、フラッグシップモデルとするならば予想外に締まった足廻りで、ラグジュアリーモデルというならばあまりに勇ましい音をさせて山道をブンブン駆け上っていった(あくまで法定速度内ということにしておく)。

峠を越えて秩父側では紅葉が始まっていた。稜線を上から下へだんだんと下ってくる感じ。用件が用件なのですごく駆け足での昼食だったけども、クルミ汁で食べた蕎麦はおいしかった。

プラネット・ロック、オリバー・コーツ、オウテカ、バーンスタインのチャイコフスキー、踊るニクソン大統領と毛主席

気に入ってるところ

バンバータのパリンパリンとした音のプラネット・ロック、オークランドの小学生が演奏するいなたいサン・ラ、アコーディオンのゴルトベルク変奏曲に続いて、ルーサーじゃない方のジョン・アダムス、ニクソン・イン・チャイナの踊るニクソン大統領と毛主席 12'47"

そして勇気を持ってバーンスタインのチャイコフスキーの交響曲6番を突っ込んだところ。8'53"

https://twitter.com/taizooo/status/1319944897386872832

オリバー・コーツとオウテカの新しいヤツは凄くイイです

金曜日の夜、その週末のために用意するプレイリスト。結果的にそのとき掘っている音楽とか、直近の新譜とか、音楽について気になっていることのスクラップブックみたいになっている。聴けるスクラップブック。せっかくなのでそのプレイリストについてのメモを /CD に残すようにしてみた。

scrapbox.io

あんまり入れ込むと継続出来ないんだけど、これはこれでなかなか面白い感じになってきた。

足りないなにかは何だったのか


via https://www.ventforet.jp/games?year=2020

甲府 vs 町田 ホーム 小瀬 2-1 勝利

前日の外出、最近の体調不良(だんだん良くなってきているけど)、それからちょっとした野暮用もあって DAZN での観戦だった。

前節の群馬戦、ボタンを掛け違えたような敗戦で、相手の方がこちらを上回っていて、こちらのほうはなにかが足りなかった。足りないなにかは何だったのか。そして今節、明らかに相手を上回った。足りないなにかは何だったのか。残り試合は指折り数えられるくらいになってきた。でもここからは勝ち点を数えないことが大事。一戦一戦。勝っても負けても引き分けても。

最後は右肩上がりで。

今週末の良かったこと


Spotify – John Cage: Works for Piano & Prepared Piano, Vol. 2

ドラム、太鼓、プリペアド・ピアノ

気に入ってるところ。

オークランドの小学生たちがサン・ラを演奏したあとに、ジョン・ルーサー・アダムスの10分くらい続くドラム連打を我慢すると、スティーブ・ライヒのハンドクラップと、サム・ゲンデルの短い愉快なベースラインを挟んで、最後のビートルズ "tomorrow never knows" から、最初のケミカル・ブラザーズ "setting sun" に巻き戻るところ。

今度は、8分を超えるような曲も躊躇なく突っ込んでいきたい。

ということで勇気を持って、天野宣と Synergy の "甲府屋台囃子" 8'42" とジョン・ルーサー・アダムスの "Dust into Dust" 9'15" を突っ込んだ。次は、15分を超えるような曲も躊躇なく突っ込んでいきたい。

ジョン・ケージのプリペアド・ピアノ、コンロン・ナンカロウやジェルジ・リゲティのプレイヤー・ピアノ、スティーブ・ライヒのパーカッションとかと並べると聴き慣れているはずの和太鼓の音がそれらと同じ音に聴こえてくる、という発見があった。

グランドピアノの弦に、ゴム、金属、木などを挟んだり乗せたりして(これを「プリペアする」「プリパレーションを施す」などという)音色を打楽器的な響きに変えたものをいう。このようにすることで、ピアノ本来の音色が失われ、金属的な音や雑音の多い独特な音が得られる

プリペアド・ピアノ、打楽器だな

新しい生活様式

毎週末、このミックスをつくるようになって、1ヶ月たった。

毎週金曜日の夜に2時間くらいかけてプレイリスト作ると、週末はずっとそのプレイリストを聴いてる。部屋のスピーカーからだったりポケットのスマートフォンからだったりイヤフォンだったりヘッドホンだったり、いろんな場所いろんなモノで聴いている。そして月曜日の通勤の行き帰りにクルマのスピーカーで爆音で鳴らしておしまい。

そして月曜日の夜からはまたいつものルーチンに戻る。

プレイリストっていうかミックステープていうか、これ作るのすごく楽しいんだけど、あれだなーこうちょっと音楽にこっちから関与しているような気がするからかなー。与えられてるんじゃなくて

あの曲とこの曲をこう並べる、なんてのは二つの耳の間に脳みそがついてれば誰でも出来るというフェアさ

自分がカッコイイとか気持ちイイとか思う音がわかれば、必要なのはソレだけだもの

チョサッケンとかに煩わされることもないし、違法コピーみたいな後ろめたさも全然ない。健全だしオープンネスだし。月々980円と音楽を所有するという権利となにがしかの個人情報と引き換えに手に入れる自由。自由?

「だから私はエンブレムを掴んでこれが私の人生だと伝えました」


via https://www.ventforet.jp/games?year=2020

甲府 vs 徳島 アウェイ 1-0 勝利。昨シーズン末、プレーオフ、悔しい思いをした地で徳島に勝った。

後半30分、相手のハイボールを競ったセカンドを拾った宮崎純真は右サイド、タッチラインと相手サイドバックの間を巻くように低く長くパスを送る。その刹那、松田力は相手サイドバックを振り切ってペナルティーエリア右端に侵入する。ゴール前ニアサイドに斜めに走り込んだ金園は相手ディフェンダーたちを引き連れてスペースを開ける。松田力が蹴ったマイナスの低いクロスをダイレクトにキーパーをかすめてゴールに流し込むドゥドゥ。ゴール。その時間、わずか数秒。

この得点を守りきって、首位、徳島から勝利をもぎ取った。

「多くのサポーターは来年も甲府はJ2のイメージを持っている思う。私はまだJ1のチャンスがあると思っている。例え1%の可能性だとしても私は戦う。サポーターには同じ(諦めない、信じる)イメージを持ってJ1昇格のために戦ってほしい。サポーターと一つになりたい。だから私はユニフォームのエンブレムを掴んで”ヴァンフォーレが私の人生”だと伝えました」

今週末の良かったこと


諏訪雷 | 御諏訪太鼓

muxtape

scrapbox.io

僕はmuxtapeを忘れないし、あの時期の楽しさは格別だった。なんで格別だったかと言うと、圧倒的な「場」にエネルギーが意味も動機もないまぜに、流れ込んでいくし、拡散するし、爆発してたから。理由なしという理由で。

なつかしの muxtape 単にmixのiをuにしただけだと思ってたけど multiplexerのことをmuxerと呼ぶのを今知ったんだけどそっちだったのだろうか wikipediaには特に書いてなかった

毎週末つくってる spotify のプレイリスト、タイトル、やっぱ muxtape にしようかなー

muxtape + 番号 / サブタイトル に変更した。今回で番号は5になった。サブタイトルは "ringo oiwake"

リンゴ追分、アスファルト・タンゴ、弥三郎節


週末ごとに、その週末のためのプレイリストを一つ用意する

今回のプレイリストはこちらのヤツから大変影響を受けています。大抵のものはみんな誰かのコピーだ

scrapbox.io

気に入ってるところ。後ろの方の、コンロン・ナンカロウのプレイヤー・ピアノ、ベンベヤ・ジャズ・ナショナル、小山豊の津軽サンテリア節、ルーファス・ハーレイのバグパイプ、ってところ

今回の発見はファンファーレ・チョカルリアのジプシー・ブラス、ララージのチター、ルーファス・ハーレイのバグパイプ、御諏訪太鼓の諏訪雷、天野宣の武田屋台囃子、やのとあがつまの民謡、小山豊の津軽三味線、Smithsonian Folkways Recordings の UNESCO Collection of Traditional Music 。

次があったら今度は、8分を超えるような曲も躊躇なく突っ込んでいきたい。

プレイリストは新しい千年紀のミックステープです

PLAYLISTS ARE THE MIXTAPE OF THE NEW MILLENNIUM.

While the process of recording a mix onto an audio cassette from LPs or compact discs is technically straightforward, many music fans who create more than one mixtape are eventually compelled to confront some of the practical and aesthetic challenges involved in the mixtape format.

LPやコンパクトディスクからカセットテープにミックスを録音するのは技術的には簡単ですが、複数のミックステープを制作する多くの音楽ファンは、ミックステープというフォーマットにまつわる実用的かつ美的な課題に直面せざるを得ません。

From an aesthetic point of view, many enthusiasts believe that because a tape player, unlike a CD player, lacks the ability to skip from song to song, the mixtape needs to be considered in its entirety. This requires the mixtape creator to consider the transitions between songs, the effects caused by juxtaposing a soft song with a loud song, and the overall "narrative arc" of the entire tape. One notable listing of such aesthetic "rules" can be found in a paragraph from Nick Hornby's High Fidelity.

美的な観点から見ると、多くの愛好家は、テーププレーヤーはCDプレーヤーとは異なり、曲から曲へとスキップする機能がないため、ミックステープを全体として考える必要があると考えています。そのため、ミックステープの制作者は、曲間のトランジション、柔らかい曲と大きな曲を並置したときの効果、そしてテープ全体の全体的な「物語の弧」を考慮する必要があります。このような美的な "ルール "の注目すべきリストは、ニック・ホーンビーの『ハイ・フィデリティ』(High Fidelity)の中の一節にあります。

To me, making a tape is like writing a letter—there's a lot of erasing and rethinking and starting again. ... A good compilation tape, like breaking up, is hard to do. You've got to kick off with a corker, to hold the attention (I started with "Got to Get You Off My Mind", but then realized that she might not get any further than track one, side one if I delivered what she wanted straightaway, so I buried it in the middle of side two), and then you've got to up it a notch, or cool it a notch, and you can't have white music and black music together, unless the white music sounds like black music, and you can't have two tracks by the same artist side by side, unless you've done the whole thing in pairs and...oh, there are loads of rules.

私にとってテープを作ることは手紙を書くようなもので、消去したり、考え直したり、やり直したりすることがたくさんあります。... 解散のような良いコンピレーションテープは難しいです。あなたは注意を引くために会心の一撃で蹴っ飛ばす必要があります。(最初は "Got to Get You Off My Mind "から始めたんだけど、彼女が欲しがっていたものをすぐに届けたら、トラック1、サイド1より先には進めないかもしれないと気付いたので、サイド2の真ん中に埋めてしまった)、そして、それを1ノッチ上げたり、1ノッチ下げたりして、白人の音楽と黒人の音楽を一緒にすることはできないし、白人の音楽が黒人の音楽のように聞こえない限り、同じアーティストのトラックを2つ並べることはできないし、全部をペアでやった場合は別だけど、.... ルールがたくさんあるんですよ。

scrapbox.io

scrapbox.io

週末のプレイリスト・ルール

夜、作ったプレイリストを朝、並べ替えてる

週末のプレイリスト、規律は、
1) 1曲目は親しいヤツ
2) 60分
3) 同じ演奏者、アルバムから2つ入れない
4) 同じ雰囲気で4曲続けない
5) 知ってるヤツより知らないヤツ
6) 外すときは好きな曲を
7) チャンスがあれば大いにパクる

かつての muxtape には12曲という縛りがあった。プレイリストにはカセットテープのような物理的な限界がないけど、なにがしかの制約、規律は大事な気がする。

誰だって、どこの馬の骨かもわからないプレイリストと、何時間も付き合うほど暇じゃない

それから

甲府 vs 福岡、ホーム、小瀬 0-2 敗戦。全然ラッキーが来ない。マジな話でアレとかコレとか決まってたらこの結果は逆になっていた可能性もあった。しょうがない。

「さよなら私のクラマー」、既刊12巻分、購入アンド読了。マンガ生活充実している。

原因不明の体調不良は不明な原因がなんとなくわかってきててちょっとずつ脱しつつある。ランニングは少しずつ再開している。できるだけゆっくり、できるだけ長く、コンフォートゾーンを拡張していく。

今週末の良かったこと

世界大戦とドラッカー

ドラッカー「傍観者の時代」読了した。

ドラッカー名著集、順番無視して「傍観者の時代」から読んでるけど、読んでて次に読むべきなのが9巻から11巻の3冊ということはわかった。この3冊がドラッカーの最初の三部作みたい

「傍観者の時代」、ドラッカーが残した唯一の自伝ということになっているけど、書かれている時期は限定されていて、第一次世界大戦と第二次世界大戦のあいだくらい。1920年代から1930年代。この本が出版されたのが1978年なので書こうと思えばそれ以降のことも書けたはずなのだ。ドラッカーが取り組もうとしたことの発端が全てここに詰まっている。19世紀までの世界が、あたらしい世界、いまはまだその余韻が続いている20世紀の世界に変化したのがこの期間だった。

ドラッカーが残した書籍のうち「傍観者の時代」の中に出てくるのは次の3冊だけ。

「経済人」の終わり
ドラッカー最初の著作、ナチズムの勃興、リベラリズムとヒューマニズムの衰退
産業人の未来
第二次世界大戦以降の世界を予想、社会の組織社会化、組織における一人ひとりの人間についての問題
企業とは何か
第二次世界大戦末期、GM のトップ構造と経営政策の分析、世界で最初のマネジメント書

そんなわけで、ドラッカーの書籍と世界の歴史についての地図を書いた。次は 「経済人」の終わり を読む。

scrapbox.io

Adventures of a Bystander (傍観者の冒険)

傍観者の時代、邦題は「時代」って謳っているけど、原著の方が断然カッコイイ

1920年、2020年

100年前のことを考えている。

というか、19世紀から20世紀に生きた人たちのことを考えている。

そのままスライドさせると、20世紀から21世紀を生きる自分たちのことになったりする。いま自分たちは20世紀の余韻を引き連れながら21世紀を突き進んでいる。

100年という区切りに意味があるかどうかわからないけども、人が生きることそのものが歴史であるとするならば、

つまり20世紀を生きた人たちがいなくなって、21世紀に生まれた人たちが主役になって、初めて21世紀が立ち上がるとするならば、まんざらいい加減ということでもなさそうだ。なぜならドラッカーが生きた20世紀もそうだったから。

「20世紀を語る音楽」を買おうと思って本屋へ行ったのだが、そしたら「聴衆の誕生」という本が平置きされていてハマってしまった

「聴衆の誕生」によると1920年代はマシン・エイジと呼ばれた時代だったそうだ。

両大戦間、つまり1920年代から30年代の間にアメリカにおいて、機械を新時代の象徴として称揚していた時期、または当時の時代精神を指す言葉。当時のアメリカでは機械がもつスピード感やダイナミズム(力強い動き)を新しい時代や明るい未来の象徴として捉え、賛美する機運が高まっていた。それはデザイン、建築、写真、美術など各ジャンルを超えて広がり、高く支持された。デザイン分野においては、鉄筋コンクリートやガラスといった工業製品を積極的に用いたインターナショナル・スタイルの建築や、特にアメリカの第一世代のインダストリアル・デザイナーと呼ばれた、レーモンド・ローウィやノーマン・ベル・ゲッデスらによる流線型デザインが、マシン・エイジの理念を具現したものとされる。この傾向は、39年のニューヨーク万博で頂点に達し、第二次世界大戦の勃発により次第に衰退していった

プレイヤー・ピアノ、コンロン・ナンカロウ、ジェルジ・リゲティ

scrapbox.io

自動ピアノの発明と、1920年代のレコードの歴史、録音音楽の始まりが世界を変えた

「聴衆の誕生」によると、レコード、CD、サブスクリプションと連なる録音音楽の歴史はプレイヤー・ピアノ(自動ピアノ)の発明から始まったそうだ。

1904年、ドイツのエドウィン・ウェルテと義兄のカール・ボキッシュによりリプロデューサー(再生装置)と称されるピアノの自動演奏を制御する装置が発明された。ピアニストの演奏をそのままーペダリング、アクセント、クレッシンド、ディミヌエンド等ー再現することが可能となった。ウェルテの再生方法はウェルテ・ミニヨン(方式)といわれ、この方式の特許を得て、ヨーロッパではスタインウェイ、フォイリッヒ、イバッハなどの著名なピアノ・メーカーがリプロデューシング・ピアノを発表した。その後数社がそれぞれ独自の方法で再生装置を開発していった。このリプロデューサーはウェルテ社のグランド・ピアノに組み込まれたもの。音楽信号はロール・ペーパーに穿孔され、ピアノに組み込まれたトラッカー・バーの上をロールが通過すると、穿孔された部分に空気が通り信号を読み取る。トラッカー・バーにはピアノの鍵盤に対応する88の穴と、演奏の忠実度を高めるための、ペダリング制御、キイ・タッチ制御の穴が開けられ、それぞれの穴で読みとられた信号が、空気の量をコントロールしてピアニストの微妙なキイタッチまでを再現して演奏することが可能。 代表的な再生ピアノには、発明の年代順に、ウェルテ・ミニョン(ドイツ、フライブルク,1904)、アンピコ(アメリカンピアノ社1913)、デュオ・アート(アメリカ、エオリアン社、1914)の3つが挙げられる。

ハワード・グッドール「音楽史を変えた五つの発明」で記譜法、オペラ、平均律、ピアノ、録音技術の五つが音楽を変えた発明として上げられている。
プレイヤー・ピアノは最後の2つの発明の間に存在する。

プレイヤー・ピアノは最初、演奏家の弾くピアノをそのとおり再現することを目指した。が、しばらくしてそこからの逸脱が始まる。

しかしながらこの時代の自動演奏楽器はただ単に,人間の演奏する「生」の音楽を,人間の手を借りることなく模倣したり再生したりすることができる装置であったわけではなく,人間が演奏するこれまでの音楽にはできなかった新しい表現世界を可能にするメディアでもあった

自動演奏楽器のもつ,機械ならではの新しい表現の可能性に着目したのは作曲家たちであった。パウル・ヒンデミット(1895-1963),エルンスト・トッホ(1887-1964),ゲルハルト・ミュンヒ(1907-?)の3人は,ドイツのフライブルクに本社をもつウェルテ社と共同して,ウェルテ・ミニョンという同社のリプロデューシング・ピアノのロールに,実演を記録するのではなく,作曲家自らが直接に穿孔作業を行って「作曲」をする実験を行い,その成果は1926年7月25日に行われた「ドナウエッシンゲン室内音楽演奏会」シリーズ最終日の「機械ピアノ(ウェルテ・ミニョン)のためのオリジナル作品の演奏会」において発表された。

そして、コンロン・ナンカロウである。コンロン・ナンカロウは自らピアノロールに孔を開けて50曲を超えるプレイヤー・ピアノのための作品を作った。

自動ピアノの可能性に目覚めてからはこの楽器を用いてリズムへの探求を行い、それは「自動ピアノの為の習作」という50曲を超える作品群へ結実した。これは、人間では演奏不可能な複雑なリズム構造を実現させるために自動ピアノを用いたものである

無名だったコンロン・ナンカロウをレコードショップの棚の中から発見したジェルジ・リゲティは、自らもピアノロールに孔を開けながら、それとは全く違うアプローチでピアノに向かった。

リゲティはナンカロウの作品からピアノという楽器の新しい可能性を感じ、《ピアノ練習曲》という歴史に準じながらも革新的なピアノ技法を取り入れた作品を作曲した。リゲティが求めた音楽は自動演奏ピアノでは表現できない音楽であり、人の演奏の可能性を最大限に活かした音楽だったということができる。

テクノロジーが切り開いた地平に人間が進出するというのは、歴史の上で何回も何回も現れている。

Squarepusher, Aphex Twin, DOMi & JD Beck



トゥーイン、パドルアウト

10年前、 reblog を介してインターネットを再発見したときに思い浮かべたのは1990年代にサーフィンやスキー(スノーボード)の世界起きたパラダイムシフトのことだった。それは端的に言うと、テクノロジーが新しい価値観を生み出した瞬間だった。

その象徴の一つだったトゥーイン・サーフィンは、2010年代始めには時代遅れになっていた。

どういう意味かというと、テクノロジー(動力、ジェットスキーやエンジン付きゴムボートとストラップ付きの特殊なシェイプのサーフボード)は、生身の人間(パドリングとドルフィンスルーで大波をくぐり抜けて、動力に頼らずに自力で波にテイクオフすること)に置き換えられていた、ということ。

これは単純にテクノロジーが人間の能力を置き換えてハイ、お終い、ではなく、テクノロジーが切り開いたスペースをそのあと、人間の能力が埋めていった、ということを意味している。これが進化の方向だ。

これが進化の方向だ。たぶん。

プレイリスト、ミックステープ、カセットテープ


プレイリスト、ミックステープ、カセットテープのことを考えてた

親しい曲でプレイリストを作るんじゃなくて、作ったプレイリストでその曲と親密になりたい

恋かよ?!

powered by hatena blog.
the nikki system for lifelogging junkies.

all posts © their original owners.
writing is reusable solely under the by creative commons license.