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via http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/083.pdf

技術の系統化調査報告 第21集2014年3月
アナログディスクレコード技術の系統化報告と現存資料の状況
~機械式録音から電気式録音へ、そして長時間化とステレオ化へ~
穴澤 健明

20世紀のクラシカル・ミュージックを追いかけることの意味とか

ロサンジェルス・フィルハーモニック、20世紀の作曲家ばっかりなので、一足先にアレックス・ロス「20世紀を語る音楽」読みたい感じになってる。まだ「これを聴け」全然途中だけど

「20世紀を語る音楽」を買おうと思って本屋へ行ったのだが、そしたら「聴衆の誕生」という本が平置きされていてハマってしまった。 1989年に出版されたものの文庫版。けっして新しくはないけども、クラシカル・ミュージックを軸に、いま、この場所で起きている現象とぴったりの内容が書かれていたりする。(ちょっとズレているところも無くはない。でもそれが1989年に書かれてると考えると信じられなくらいフレッシュだ。)

クラシカル・ミュージックの動きはポップ・ミュージックの世界を先行していると考えられる(考えられるということにしておく)。「聴衆の誕生」に「カタログ化」と呼ばれている現象がある。

旧来の 「巨匠の名曲」を軸にした価値秩序の崩壊とさまざまな音楽が価値の差別なく並存する並列化現象を指摘しそれを「ぴあ」のような情報雑誌や「東京うまいものカタログ」式の音楽の「カタログ化」と捉える

「東京うまいものカタログ」がなんなのかわからないけど、なんとなく想像できる。30年くらい前か。つまり今、サブスクリプションのおかげで現在も歴史もおかまいなく横並び、並列に音楽が並んでいるこの感じは30年前からすでに始まっていたということだ。サブスクリプションで起きている現象の一端はすでに30年前に起きていた。現在は過去の上に積み重なっている。

サブスクの上陸により、ディガーたちの自我が崩壊したテン年代末

ディガーたちの自我が崩壊して、オレみたいなワナビーやニワカや「持たない者」「何者でもないもの」が暗躍する世界がやってきた。 この流れはサブスクリプションによって破壊された結果じゃなくって、音楽の進化の線上で起きている。

レコードの話

「聴衆の誕生」では1920年代に音楽に大きな変化が起きたと言っている。それはレコードの登場を意味する。レコードというテクノロジーは19世紀に誕生している。Web を漁ると冒頭の「アナログディスクレコード技術の系統化報告」という PDF を見つけた。66ページもある。印刷した。

1920年代はラジオ放送が本格的に始まり、電気に関わる技術の進歩が大きかった。その影響はレコードにも及んでいてそれまで機械的に録音されていたレコードは、電気的な録音に置き換えられた。このときに大きなブレイクスルーが起きた。音楽は時間や場所から自由になった。ここがスタート地点だった(かなり話を端折っている)。現在は過去の上に積み重なっている。

音がテクノロジーの最先端だった時代

かつて、音がテクノロジーの最先端だった時代があった。そもそも sony の名称は音からきているのだ。

「SONY」というブランド名は、『音:SONIC』の語源となったラテン語の『SONUS (ソヌス)』と「小さい」「坊や」を意味する『SONNY』に由来している。

  • 「アナログディスクレコード技術の系統化報告」4.3.4 日本のオーディオ技術、レコード技術の発展を担った先駆者達

ここで第2 次世界大戦の末期から戦後にかけての我が国のオーディオ産業、レコード産業の発展に寄与した先駆的な技術者達に目を向けてみよう。1939 年(昭和14 年)に日本電音機製作所(略称デンオン、現デノン)を設立した前述の坪田耕一と東通工(後のソニー)の設立者である井深大、そして元NHK 技術研究所所長の島茂は、同じ大学の電気工学科の同期生(昭和8 年卒)であったことは良く知られている。この3 者に対する母校の伊藤毅(元早稲田大学理工学部教授)が行った学問的支援も忘れるわけには行かない。

伊藤は日本の作曲界の育ての親、諸井三郎(作曲家、三木鶏郎の先生でもあった)の弟子で日本での音響工学の古典的名著音響工学原論上下(コロナ社発行)を執筆し、その傍ら作曲も行った

坪田の門下からは、前述の谷勝馬(ティアック創業者)をはじめ、持田康典(日本楽器製造、現ヤマハ、元専務取締役)、阿部美春(元ティアック取締役)等戦後の日本のオーディオ産業を担った多くの逸材を輩出した。

NHK 技術研究所で放送用カートリッジの開発を行った山本武夫(元パイオニア副社長)は、パイオニアに移り、パイオニアでのレーザーディスクの開発で中心的な役割を担った。後にソニーでCD 開発プロジェクトの指揮を取った中島平太郎(元アイワ社長)は、NHK 技術研究所での山本の上司であった。

「シガーカートリッジ」の発明他の功績により、ニューヨークに本拠を置くAES(Audio EngineeringSociety)のシルバーメダルを受賞(後に井上敏也もこの賞を受賞)した志賀健雄は、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫(元組織工学研究所)が音響の研究を行っていた時代の弟子であった。

糸川英夫は1935 年に東京帝国大学工学部航空学科を卒業し、中島飛行機に入社し戦闘機「隼」などの設計に従事した。1941 年に軍部の影響力が比較的弱かった千葉市の東京帝国大学第二工学部の助教授に就任し、1949 年に学位を取得したが、その学位論文は「音響インピーダンスに依る微小変位測定法に関する研究」であった。

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