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今週末の良かったこと

世界大戦とドラッカー

ドラッカー「傍観者の時代」読了した。

ドラッカー名著集、順番無視して「傍観者の時代」から読んでるけど、読んでて次に読むべきなのが9巻から11巻の3冊ということはわかった。この3冊がドラッカーの最初の三部作みたい

「傍観者の時代」、ドラッカーが残した唯一の自伝ということになっているけど、書かれている時期は限定されていて、第一次世界大戦と第二次世界大戦のあいだくらい。1920年代から1930年代。この本が出版されたのが1978年なので書こうと思えばそれ以降のことも書けたはずなのだ。ドラッカーが取り組もうとしたことの発端が全てここに詰まっている。19世紀までの世界が、あたらしい世界、いまはまだその余韻が続いている20世紀の世界に変化したのがこの期間だった。

ドラッカーが残した書籍のうち「傍観者の時代」の中に出てくるのは次の3冊だけ。

「経済人」の終わり
ドラッカー最初の著作、ナチズムの勃興、リベラリズムとヒューマニズムの衰退
産業人の未来
第二次世界大戦以降の世界を予想、社会の組織社会化、組織における一人ひとりの人間についての問題
企業とは何か
第二次世界大戦末期、GM のトップ構造と経営政策の分析、世界で最初のマネジメント書

そんなわけで、ドラッカーの書籍と世界の歴史についての地図を書いた。次は 「経済人」の終わり を読む。

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Adventures of a Bystander (傍観者の冒険)

傍観者の時代、邦題は「時代」って謳っているけど、原著の方が断然カッコイイ

1920年、2020年

100年前のことを考えている。

というか、19世紀から20世紀に生きた人たちのことを考えている。

そのままスライドさせると、20世紀から21世紀を生きる自分たちのことになったりする。いま自分たちは20世紀の余韻を引き連れながら21世紀を突き進んでいる。

100年という区切りに意味があるかどうかわからないけども、人が生きることそのものが歴史であるとするならば、

つまり20世紀を生きた人たちがいなくなって、21世紀に生まれた人たちが主役になって、初めて21世紀が立ち上がるとするならば、まんざらいい加減ということでもなさそうだ。なぜならドラッカーが生きた20世紀もそうだったから。

「20世紀を語る音楽」を買おうと思って本屋へ行ったのだが、そしたら「聴衆の誕生」という本が平置きされていてハマってしまった

「聴衆の誕生」によると1920年代はマシン・エイジと呼ばれた時代だったそうだ。

両大戦間、つまり1920年代から30年代の間にアメリカにおいて、機械を新時代の象徴として称揚していた時期、または当時の時代精神を指す言葉。当時のアメリカでは機械がもつスピード感やダイナミズム(力強い動き)を新しい時代や明るい未来の象徴として捉え、賛美する機運が高まっていた。それはデザイン、建築、写真、美術など各ジャンルを超えて広がり、高く支持された。デザイン分野においては、鉄筋コンクリートやガラスといった工業製品を積極的に用いたインターナショナル・スタイルの建築や、特にアメリカの第一世代のインダストリアル・デザイナーと呼ばれた、レーモンド・ローウィやノーマン・ベル・ゲッデスらによる流線型デザインが、マシン・エイジの理念を具現したものとされる。この傾向は、39年のニューヨーク万博で頂点に達し、第二次世界大戦の勃発により次第に衰退していった

プレイヤー・ピアノ、コンロン・ナンカロウ、ジェルジ・リゲティ

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自動ピアノの発明と、1920年代のレコードの歴史、録音音楽の始まりが世界を変えた

「聴衆の誕生」によると、レコード、CD、サブスクリプションと連なる録音音楽の歴史はプレイヤー・ピアノ(自動ピアノ)の発明から始まったそうだ。

1904年、ドイツのエドウィン・ウェルテと義兄のカール・ボキッシュによりリプロデューサー(再生装置)と称されるピアノの自動演奏を制御する装置が発明された。ピアニストの演奏をそのままーペダリング、アクセント、クレッシンド、ディミヌエンド等ー再現することが可能となった。ウェルテの再生方法はウェルテ・ミニヨン(方式)といわれ、この方式の特許を得て、ヨーロッパではスタインウェイ、フォイリッヒ、イバッハなどの著名なピアノ・メーカーがリプロデューシング・ピアノを発表した。その後数社がそれぞれ独自の方法で再生装置を開発していった。このリプロデューサーはウェルテ社のグランド・ピアノに組み込まれたもの。音楽信号はロール・ペーパーに穿孔され、ピアノに組み込まれたトラッカー・バーの上をロールが通過すると、穿孔された部分に空気が通り信号を読み取る。トラッカー・バーにはピアノの鍵盤に対応する88の穴と、演奏の忠実度を高めるための、ペダリング制御、キイ・タッチ制御の穴が開けられ、それぞれの穴で読みとられた信号が、空気の量をコントロールしてピアニストの微妙なキイタッチまでを再現して演奏することが可能。 代表的な再生ピアノには、発明の年代順に、ウェルテ・ミニョン(ドイツ、フライブルク,1904)、アンピコ(アメリカンピアノ社1913)、デュオ・アート(アメリカ、エオリアン社、1914)の3つが挙げられる。

ハワード・グッドール「音楽史を変えた五つの発明」で記譜法、オペラ、平均律、ピアノ、録音技術の五つが音楽を変えた発明として上げられている。
プレイヤー・ピアノは最後の2つの発明の間に存在する。

プレイヤー・ピアノは最初、演奏家の弾くピアノをそのとおり再現することを目指した。が、しばらくしてそこからの逸脱が始まる。

しかしながらこの時代の自動演奏楽器はただ単に,人間の演奏する「生」の音楽を,人間の手を借りることなく模倣したり再生したりすることができる装置であったわけではなく,人間が演奏するこれまでの音楽にはできなかった新しい表現世界を可能にするメディアでもあった

自動演奏楽器のもつ,機械ならではの新しい表現の可能性に着目したのは作曲家たちであった。パウル・ヒンデミット(1895-1963),エルンスト・トッホ(1887-1964),ゲルハルト・ミュンヒ(1907-?)の3人は,ドイツのフライブルクに本社をもつウェルテ社と共同して,ウェルテ・ミニョンという同社のリプロデューシング・ピアノのロールに,実演を記録するのではなく,作曲家自らが直接に穿孔作業を行って「作曲」をする実験を行い,その成果は1926年7月25日に行われた「ドナウエッシンゲン室内音楽演奏会」シリーズ最終日の「機械ピアノ(ウェルテ・ミニョン)のためのオリジナル作品の演奏会」において発表された。

そして、コンロン・ナンカロウである。コンロン・ナンカロウは自らピアノロールに孔を開けて50曲を超えるプレイヤー・ピアノのための作品を作った。

自動ピアノの可能性に目覚めてからはこの楽器を用いてリズムへの探求を行い、それは「自動ピアノの為の習作」という50曲を超える作品群へ結実した。これは、人間では演奏不可能な複雑なリズム構造を実現させるために自動ピアノを用いたものである

無名だったコンロン・ナンカロウをレコードショップの棚の中から発見したジェルジ・リゲティは、自らもピアノロールに孔を開けながら、それとは全く違うアプローチでピアノに向かった。

リゲティはナンカロウの作品からピアノという楽器の新しい可能性を感じ、《ピアノ練習曲》という歴史に準じながらも革新的なピアノ技法を取り入れた作品を作曲した。リゲティが求めた音楽は自動演奏ピアノでは表現できない音楽であり、人の演奏の可能性を最大限に活かした音楽だったということができる。

テクノロジーが切り開いた地平に人間が進出するというのは、歴史の上で何回も何回も現れている。

Squarepusher, Aphex Twin, DOMi & JD Beck



トゥーイン、パドルアウト

10年前、 reblog を介してインターネットを再発見したときに思い浮かべたのは1990年代にサーフィンやスキー(スノーボード)の世界起きたパラダイムシフトのことだった。それは端的に言うと、テクノロジーが新しい価値観を生み出した瞬間だった。

その象徴の一つだったトゥーイン・サーフィンは、2010年代始めには時代遅れになっていた。

どういう意味かというと、テクノロジー(動力、ジェットスキーやエンジン付きゴムボートとストラップ付きの特殊なシェイプのサーフボード)は、生身の人間(パドリングとドルフィンスルーで大波をくぐり抜けて、動力に頼らずに自力で波にテイクオフすること)に置き換えられていた、ということ。

これは単純にテクノロジーが人間の能力を置き換えてハイ、お終い、ではなく、テクノロジーが切り開いたスペースをそのあと、人間の能力が埋めていった、ということを意味している。これが進化の方向だ。

これが進化の方向だ。たぶん。

プレイリスト、ミックステープ、カセットテープ


プレイリスト、ミックステープ、カセットテープのことを考えてた

親しい曲でプレイリストを作るんじゃなくて、作ったプレイリストでその曲と親密になりたい

恋かよ?!

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