三年日記
止まった。9/10から一行も書けていない。最初は腰痛だったけど気分も全然ダメな感じになっててそれ以降、9月は全く書けなかった。懸案だった業務は終わったけどダメージが大きかったみたいで全然ダメな感じが続いている。唯一この「今週末の良かったこと」だけが日々が続いていることを繋ぎ止めている。
「対話」と「独白」
「対話」、対義語は「独白」。ダイアローグとモノローグ。"dialogue" と "monologue"
"mon-" は「1」を、"di-" は「2」を意味する。そして "-logue" の語源は ラテン語の "logos" ロゴス
「ロゴス」は「ミュトス」(ミトス)と対になっている。「ミュトス」はホメーロスの「イーリアス」、「オデュッセイア」といった物語、伝説、神話を指す。それと対をなして「ロゴス」は論理的に語られたもの、語りうるものを指す。端折って「ロゴス」は「真理」「ミュトス」は「虚構」と呼ばれている。
対話の可能性
対話は、他人と同じ考え、同じ気持ちになるために試みられるのではない。語りあえば語りあうほど他人と自分との違いがより繊細に分かるようになること、それが対話だ。「分かりあえない」「伝わらない」という戸惑いや痛みから出発すること、それは、不可解なものに身を開くことなのだ。
煩悩の108番
今週末のプレイリスト、煩悩の108番だった。
1曲目は1年前のプレイリストからバルトーク、ミクロコスモス。ちょうど1年前はバルトークとかコダーイ・ゾルターンにはまってたみたい。
100年前は第一次世界大戦があった。ヨーロッパは激動の時代だった。音楽家はアイデンティティを確立するために民族音楽を掘っていた。21世紀の今はそんな時代とまるでよく似ている。うりふたつだ。なんて無邪気に考えていたんだけど1年後の世界が、世界というかヨーロッパが、ロシアとウクライナが、こんなふうになっているだなんて全然予想もしていなかった。わかった気になっていたけど全然わかっていなかった。
そうはいっても1年前と変わらずに金曜日の夜になると60分のプレイリストを組むのだ。
気に入ってるところ、1曲目からバルトーク、ノラ・ブラウン、エマ・ジーン・サックレイ、アノマリーってところ。エマ・ジーン・サックレイ、超イイ。ジャズとかファンクとか教会音楽とかあらゆる音楽がないまぜになっている。自分はクラシカル・ミュージックとのつながりを見出した。プレイリストに入れた "Yellow" はオルガンからゴスペルのようなコーラスに繋がってて、声がパーカッションみたいに音楽を鳴らしている。声、コーラスって凄い。
それから、
サッカーはあった。腰痛と体調と気分がイマイチでホーム小瀬には行けなかった。申し訳ない気持ち。水曜日には天皇杯、準決勝がやって来る。
マンガだけが生活を繋ぎ止めている。アトワイトゲーム、化物語、平和の国の島崎へ、転がる姉弟 第4巻、ひらやすみ 第4巻、よふかしのうた。結局、週刊少年サンデーも読み始めてしまった。泥沼だ。