これは日記の練習です
ひさびさに潜った様子です
ジム・オルークと石橋英子、リレーションシップ、文脈が少し消えた、 Aesthetic
全面的に肯定しているわけじゃいけど言っていることはわかるような気がする、みたいな。ジム・オルークが言っているリレーションシップはプロの「作り手」(ここでいうプロは商売しているという意味ではなくて、「本気」と書いて「マジ」と読むという位置づけ)の視点で、「聴き手」が示す音楽へのリレーションシップは良くも悪くも「作り手」が作り出しているのだ(責任があるのだ)、ということだと思う
自分の考えは(「作り手」には敬意を持っているつもりだけど、それはいったん横に置いておく)、必ずしも「作り手」が全ての価値を生み出しているとは思っていなくて、というよりは、全ての価値は「聴き手」が作り出しているのだという原理主義者だったりする。だからジム・オルークが言っている以外のリレーションシップの形っていうのはあって、彼らから見ると薄っぺらいように見えるんだろうけど、必ず、量が質を凌駕する瞬間っていうのがあって、「作り手」のスピードと「聴き手」のスピードっていうのは圧倒的に「聴き手」の方が速くて非対称なので、「聴き手」の持っているパワーっていうのはバカにできないのだよ、ジム君、っていう感じ
「パンチラインは読み手によって見出される」という話につながる
「ニワトリが先かタマゴが先か」的な話ではある。二項対立的でもある