こんばんわ、日記の練習です。
書けないときは二種類あって、本当になにも書くことがないときと、たくさんいろいろなことが起きているけど書くのが面倒くさいとき。今週末は後者。
忘れないうちに書いておきたいことは、
前に、アース・ウインド&ファイアーを掘ってきたときがあって、じゃあそのうちセプテンバーに行き当たるだろ、と思っていたんだけど全然たどり着かなくて、
じつは自分には原典主義なところがあって聴くならオリジナルアルバムだろという感じだったんだけど、セプテンバーってシングルにしかなってないらしくて、結局、ベスト盤を聴けばあっという間に出会えるのだった、みたいなことがあった。
今回は、「分節化」っていうパンチラインがあって、言語哲学の入門書みたいなのをずっと漁ってたんだけど、「分節」と「分解」で混乱してて、で、結局、原典(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)を当たると、薄い本だけど索引がついててドイツ語の原語とキーワードが紐づけられてた。原典を開けばあっという間に出会えるのだった、みたいなことがあった。
じつは自分には先に外堀を埋めていったりするところがあって、こういう全然自分が知らない領域については、歴史から全体を俯瞰したり、その領域が構成されているもう一段小さい領域、分割される要素について調べたり、わざわざ遠回りする傾向があって、原典になかなか近づかなかったりする。
音楽と読書で真反対な経験をしていた、という話で、ここにオチはない。
オチはないけど、読書というかもっというと「知る」という行為だって、音楽みたいにもっと直感的、フィジカル的に向き合っても良いかなあ、という気づきがあったような、なかったような。