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今週末の良かったこと(巻き戻る読書、世界の始まり)

巻き戻る読書(『正義論』その後)

ジョン・ロールズ『正義論』、よたよたと読み続けている。

『正義論』800ページ以上ある。膨大。「序文」で、ジョン・ロールズ自身が、この本は膨大なのでココとココを読むとイイ、と「手引き」を紹介している。とても親切。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2024/10/07/170328

正義論についての基本的で直観的な考え方は、第一章の §1~4 に提示されている。ここから制度のための正義の二原理が論じられている第二章の §11~17 へ、そして原初状態 (original position) を説明している第三章全部へと読み進むことも一つの方法である。

本理論の最も基本的な部分 | 正義論 - taizooo

ロールズがおすすめする通りに第一章の4つ、第二章の7つ、そして第三章の全部を読んだ。ここまでで2週間じゃ足りなかった。続いては、

なお第一章の §8 「優先順位の問題」をよく知らない方は、 この節に目を通すことも必要であろう。
次に、第四章の §33~35 の平等な自由と §39~40 の自由の優先性の意味およびカント的解釈を読めば、第三部の 概要が得られる。
ここまででおよそ三分の一に当り、本理論の最も基本的な部分を構成している。

本理論の最も基本的な部分 | 正義論 - taizooo

とあるので、巻き戻って第一章の8節に戻った。さて、ここで第一章の見出しを見てみる。

第一部 理論
・第一章 公正としての正義
・1 正義の役割
・2 正義の主題
・3 正義の理論の中心理念
・4 原初状態と正当化
・5 古典的功利主義
・6 付随する複数の相違点
・7 直観主義
・8 優先順序の問題
・9 道徳理論に関するいくつかの所見

目次 | 正義論 - taizooo

結論から言います。8節はその前の5節から7節を読まないと全然意味が取れないのでした。

ピエール・バイヤールは「読まずに読め」と言いましたが、残念ながら僕は「読んで読まない」でした。まず最初に目次を熟読すべきだったのです。ロールズは「僕のこの理論を理解するには、ココとココを読めばイイ」と言っていたわけで、「このあとに続く節に書かれているのは、この本を読もうとする人にとっては当たり前の知識で蛇足だから飛ばしてもイイです」ということが文章からは省略されていたわけです。残念。読むけど。

説明します。第一章の冒頭の4節にてロールズはこの『正義論』の屋台骨を全て示します。そして続く節にて従来の理論についての説明と比較とこの理論への批評に立ち向かいます。たぶん(全部読んでいないので推定です)。

こういった本を読む初心者なので言葉の定義がわかりません。読書のほぼ八割方はそれぞれの言葉の位置関係やその言葉の意味するところを探るために右往左往する感じです。「社会契約」「功利主義」なんていうのがその最たるものです。インターネットとか全然別の場所で並行して探っていましたがなんのことはない、この本の冒頭にこの本における定義が必要な形でまさに書かれていたのでした。灯台下暗し。

もうここまで突っ込んでしまったからには、買うしかないよな。買うのか。

世界の始まり(社会契約論とは何か)

重田園江『社会契約論 —— ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ』
gyazo.com

右往左往しているときに見つけた本です。その冒頭の「はじめに」に知りたかったことがほぼ全て書かれていました。

第一に、社会契約論は、社会の起源を問う思想だ。ここで「社会」とは、さしあたり人々が集まり、共同で生活する場、というくらいの理解でよい。私たちが暮らすこの社会は、どこから来て、どんなふうに生まれたのか。社会契約論は、それを解き明かそうとする

だが、たとえば実際にあった歴史上の起源を、古文書をたどって発掘するのではない。理屈として、原理として考えたなら、社会というのはこんなふうに生まれたはずだと説明する。それを作り話と考えるなら、まあ一種の作り話だ。でも理屈の上で考えたとき、誰でも少し頭を働かせればたどっていけるやり方で社会の起源を語るというのは、出まかせの作り話にはない効果がある。

第二に、社会契約論は、社会が作られるために、そして維持されるために最低限必要なルールは何かを問う思想でもある。

こうした秩序やルールがどこから来るかを考えるにあたっては、大きく分けて二通りのやり方がある。一つは、秩序やルールは自然に、あるいは人間がわざわざ作らなくてもどこかからやってくるという考え方だ。

もう一つは、秩序やルールを「人工物」とみなす考え方で、社会契約論はこちらの代表だ。

ところがここに困った問題が出てくる。神様や自然や歴史が秩序を与えてくれるなら、ある秩序がただいいかどうかの最終判断に、生身の人間は直接責任を持たなくてもよい。ところが社会契約論は、秩序は人工物だと言う。そうすると、秩序の正しさにも、人間が責任をとらなければいけなくなる。言い換えると、神も自然も歴史の重みも、あるいは他の何の助けも借りないで、人間たちだけで社会を作り、運営していく仕組みを考案しなければならないのだ。そして秩序の正しさについても、私たちの頭で理解し判定できる範囲で、何らかの基準を設けなければならない。

三番目に、社会契約論は、人工物としての社会を誰がどうやって作り、その社会は何によって維持されるのかを問う思想だ。

誰がどうやって作れば、それなりに頑丈ですぐに息絶えてしまわないような、持続性と凝集力がある社会ができるのか。社会契約論はどういう答えを与えるだろうか。それを短いフレーズで表すと「約束だけが社会を作る」というものだ。

まず、社会が作られる以前の状態、つまり「自然状態」が出発点になる。ここには、自由で独立した人たち、つまり共通の社会を持たない人たちがたくさん出てくる。この人たちがお互いに約束を交わす。そうすると彼らは、ばらばらな状態(自然状態)から抜け出て、他の人との持続的な絆の下に置かれるようになる。この約束が社会契約で、それを通じて秩序が生まれる。人が生きる場面は、孤立した自然状態から、他者との継続的な絆が結ばれる社会状態へと移行する。

僕はここに原子論的な景色を見出しました。宇宙の始まりや生命の始まりを探求するのと同じものがここにある、そしてそれは僕にも理解できるはずという直感です。なぜならこの原理は、世界の始まりに立っている僕(自然状態に置かれている「僕」)が、その最初に取り結ぶ「約束」であるはずだから。

それから、

NHK 『星野源のおんがくこうろん』は Nujabes だった。番組でも紹介されていた"Reflection Eternal" 大好きだ。Nujabes はプレイリスト紀になってから発見した。いつでもなにかに間に合わない。

今週末のプレイリストの1曲目は1年前のプレイリストから Gard Nilssen's Supersonic Orchestra だった。ビッグバンド、最高。

サッカーはあった。到底受け入れられないような判定があった。最終的にピッチに立っている人数は9名だった。野球じゃない。小瀬で勝つ。以上。

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