copy and destroy

catch and eat

今週末の良かったこと


積読の話(インターネット創世記の話はつづく)

カートに突っ込んだインターネット創世記についての本を、入れたり出したりして悩んでいる https://gyazo.com/02a5cb441d287b9d92925dfbbf6158f1 

最終的にこんな感じです。 https://gyazo.com/ac141ea1bac385c93c58e34b13edafc2 …

インターネット創世記のヤツ届いた。この序章が読みたくて買った。1983年

今周末、入手の三冊です

届いたのは石田晴久「UNIX」、ニール・ランダール「インターネット・ヒストリー」、スティーブン・レビー「ハッカーズ」の三冊。

まずは石田晴久「UNIX」から。とにかくこの「UNIX」の最初の文章が読みたかった(Unix の略歴とか自分自身が東京大学でどのように Unixを導入したのかが書かれている)。初版1983年、4.1BSDをベースに書かれていて、つまり TCP/IP 以前。だから書かれている内容もすごくシンプル。読んで驚いたのは、

  • ed や Emacs は Unix より前の環境(TTS: タイムシェアリングシステム)で作られた
  • 対話的インターフェースの方が特殊だった(バッチ処理だった)
  • 対話的インターフェースっていってもそれはラインプリンター(1行)だったり

石田さん、1976年にベル研究所から戻ってきて次の年の学会誌で Unix を紹介するんだけど、その半年後には「オモチャとしてのコンピュータ」という記事を同じ学会誌に載せていて、

本稿では、コンピュータの世界の奥の院で、まじめなコンピュータ応用の仕事ばかりしていて、しもじものコンピュータの世情にうとい人々を対象にオモチャ的に使われているコンピュータを紹介したい

と煽っている。この記事ではいわゆる「マイクロコンピュータの革命」について書いていて APPLE II も載っている。家庭に、個人にコンピュータが行き渡るとソフトウェアを大量に流通させる必要があると言う。そして最後にはこれらのマイクロコンピュータがネットワークで繋がる姿を予想している。1978年に、である。"Visionary"

ギックリした話

二週間ほど前、軽くギックリとなった。腰痛持ちなのでお約束な感じだったのだけれど軽かったので二日で痛みが取れて、三日目からそれまで同じように適当に身体動かしていた。そしたらその次の週末に再びギックリとなった。再発。

フィリップ・マフェトンは、「人というのは簡単にオーバーワークする生き物だ(だから管理しないとならない)。」と言っていた。ランニング、自分は全然競技志向がないので本当にファンランなんだけど結局、ギックリしてしまった。振り返ると完全にオーバーワークだった。稼働時間でいうとその直前の二週間が16時間/週、週末はどちらも合計6時間くらい走ってた。正真正銘のバカだった。一回目のギックリになった週末もその直前まで同じくらい走るつもりでいた。バカだ。

腰痛との付き合いは長くて、アンチパターンもパターンも両方知っているのに、それでもやってしまう。もともとは「ノーペイン・ノーゲイン」文化圏の人間なので気を抜くとオーバーワーク一直線。

ということで、トボトボとメンテナンスしている。

今週末の良かったこと


リングネームみたいなもの

先週はただひたすらキーワードがズラズラと横並びにならんでいただけだったけど、今週は少しだけそれぞれのキーワードがつながりを見せ始めた。それぞれのキーワードはただ文字の並びじゃなくてちゃんとした背景を帯びている。それがわかるようになってきた。でもその先では、わかることはわからないことを意味したりする。進んだり停滞したり。

ちょっとだけ姿を表した気がするけど、まだ文章にはならない。文章にはならないけどそれぞれの事象についてタイトルだけ考えた。ここでいうタイトルとはつまりリングネームみたいなもの。

創世記だからということで一番最初の Unix の話のタイトルは「はじめに Unix ありき」とした。

  • 「はじめに Unix ありき」
  • 「三身の綱打ち掛けて引き縫い付けたネットワークは、北は北海道、南は九州まで」
  • 「我々のネットワークを繋げよう。イーサネットが地を覆い尽くすほどの。あらゆる地に散って消え去ることのないように」
  • 「あなたはつえを上げ手を海の上にさし伸べてそれを分け、インターネットを海の中の深い底を行かせなさい」

それぞれは何かの古典の、いわゆるいつもの書き換えだ。

気を抜くとわかったような気になってこれで満足してしまう。満足してしまうと終わってしまう。気をつけたい。ちょっとずつ調べて、ちょっとずつ書く。

リチャード・ストールマン、ビル・ジョイ、そして、みんなの敵ビル・ゲイツとみんな大好きスティーブ・ジョブズ

今、一つの大きな塊だと思っているインターネットの文化はいくつかの文化が融合したものだとエリック・S・レイモンドが言っていた。

一つは ARPANET と LISP と TCP/IP の文化、もう一つは UNIX と C と NetNews(UUCP) の文化。さらにもう一つがマイクロコンピュータとパソコン通信の文化。それぞれのヒーローでいうと、リチャード・ストールマン、ビル・ジョイ、そして、皆の敵ビル・ゲイツと皆大好きスティーブ・ジョブズ。なるほどと思う。

Web で調べると、インターネットの歴史っていうと、すぐに ARPAnet ってことになるけど、そんなに単純じゃない。いろいろな偶然や稚拙さや怠慢や情熱や政治やいろいろが重なり合って現在になっている。

サッカーの話

2019年の体制発表があって、一次キャンプが始まった。西の J1 クラブからのオファーを断って残留した3年目の小出がキャプテンになった。われわれにとって特別の意味がある背番号7番は、昨シーズンのルヴァンカップで高校生ながら目が醒めるような活躍をした中山陸が背負う。時代は変わりつつある。ちょっとずつシーズンが近づきつつある。

今週末の良かったこと

TPC-3


日本とグアム,ハワイを結ぶ第3太平洋横断ケーブル(TPC-3)である。ケーブルの総長は約9,100kmで,ハワイからさらにHAW-4と称する光ケーブルでアメリカ本土まで延びている。

TPC-3は最新の光ファイバー技術を採用したデジタル方式で,従来の同軸ケーブルの数倍~10数倍の7560回線(64kbps電話換算)もの容量を持っている。

さらに幸運なことに,高額な日米専用線も米ハワイ大学が進めていたPACCOM(パッコム)プロジェクトとの共同研究予算で賄えることになった。こうして1989年9月,WIDEインターネットは日米間のIP接続を開始する。

日本のインターネット創世記の話

1989年、平成の始まりは日本のインターネット創世記と呼べる。ちょっと訳あって調べ始めた。

平成ネット史(仮)という NHK の番組に呼応して出来たと思われる Wiki がある。番組は見ていない。

その Wiki にかつて書いた tumblr 創世記の記事が引用されていて、

そんな感じだったので、ちょっとスクオッティング気味にインターネットの歴史を扱うときの問題点を書き始めた。

で、書きたかったのはインターネットの歴史を扱うときに「深さ」と「幅」について注意しないといけないということだった。で、「幅が変わると深さがこのように変わります」というのを示そうと、せっかくなら一番深いところを掘ってみようと思った。で、「日本のインターネットの始まり」を追記することにした。

そもそも平成ネット史なのに、その一番最初に書かれているのが World Wide Web の誕生だったのが気に入らなかった、というものある。日本じゃないじゃん。という。

「こんなの JUNET と WIDE でチャッチャッとお終い」

しかし、あっという間に泥沼にはまり込む。



自分自身で、インターネットの歴史を扱うときには注意が必要だ、と言っておきながら、自分自身で地雷を踏んだみたいになった。

「日本のインターネットの始まり」を考えるのにまずは JUNET 、 WIDE プロジェクト、そして 村井純 氏というのが定説だと思っていた。それはまあ間違いではないんだけど、それだけだとわからないことが多くて、その出来事に織り込まれている事柄があまりにも広大だった。

  • 海底ケーブル、光ケーブル
  • 通信自由化、電気通信事業法、NTT(日本電信電話公社)
  • VAX/PDP-11
  • UNIX Version 6 / BSD(Berkeley Software Distribution)
  • UUCP
  • ARPAnet / CSnet / NSFnet
  • USENET / NetNews
  • TCP/IP
  • JUNET / WIDE / TISN / JAIN
  • AT&T / カリフォルニア大学バークレー校 / サン・マイクロシステムズ
  • 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) / 東京大学 / 東京工業大学
  • 村井純 / 砂原秀樹 / 石田晴久 / 釜江常好
  • ケン・トンプソン / デニス・リッチー / ボブ・ファブリー / ビル・ジョイ / チャック・ヘイリー
  • etc…

1989年のインターネット


via https://tech.nikkeibp.co.jp/it/members/NNW/NETPOINT/20050608/162375/

遠回りする話

「本質に近づきつつある」なんて言ったけどそんなのウソで、完全に遠ざかってる。面白いけど。

今週末の良かったこと


チャッコーナ・シャコンヌ

「生身の人間でその音の魅力に抵抗できる者はいないので、これらが引き起こすどんな災いも、法は無視しなくてはならない」

アレックス・ロスの「これを聴け」( Listen to This ) の第二章が「チャッコーナ、ラメント、ウォーキング・ブルース」。

チャッコーナというのは17世紀初頭、スペインで流行した音楽とのこと。そのころのスペインは世界を席巻していたわけで、そんなスペインの植民地のどこかで生まれた音楽らしい。アレックス・ロスはこの音楽が姿、形を変えて現代にまで繋がっていることを超高速、超圧縮して書いている。

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 シャコンヌ BWV1004

というところまで、諳んじることが出来るようになりました

ジョルディ・サヴァールとエスペリオンXXI、端折って、バッハの無伴奏ヴァイオリンのパルティータとロ短調ミサ曲、ジェルジ・リゲティの「ハンガリアン・ロック」。この章に出てくる音楽を片っ端から聴いていくともう全然先に進まない。この先はデルタ・ブルース、ガーシュイン、フランク・シナトラ、ボブ・ディラン、ザ・ビートルズ、イーグルス、レッド・ツェッペリンへと繋がっている。

退屈の話と深く掘る話

ぼくは「退屈」が怖い。

この文章から「退屈」について考えていた。

scrapbox.io

日記とか書くようになって、自分は感情に大きく影響受けているなあ、と、思っていたけども、退屈というのが感情、情動によるものということになると、いよいよ人間というのはなんとも感情的な生き物であるなあと思う。

深掘りだ

たまたま今回は深く掘れたわけですが(今回は scrapbox のおかげ、というのも、たぶん、ある)。

自分は、結局のところ最後は暇な人が勝つと思っていて。ここでいう勝ちというのは誰かに勝つという意味じゃなくて、成果を手に入れるみたいな意味なんですけど。で、暇っていうのは本当に暇という意味ではなくて、先の「退屈」に繋がっていて、なんか面白いものが無いかと常に思っている状態のことを指します。

で、そうすると例えば、「退屈」について辞書を引いてみたり、Wikipedia の note ページを覗いてみたり、そんなふうに可能な限り遠回りしていこうとするわけです。結局それで真実にたどり着けるかというとそんな保証は全然ないんですけど、そんなことはどうでも良くて、とにかく暇なわけですから、とにかくなにか面白いものに出会う可能性が、とんでもない何かにつまづく可能性が増えるんじゃなかと。そういう感じです。

どんどんつまづいていこうと思う。

2019年の甲府

www.ventforet.jp

ルヴァンカップ準々決勝。ホーム&アウェイ。水曜日の小瀬、17歳、中山陸の輝き。

昨季は「39」で出場したが、同じ新加入の内田がつけると決まっていた。そこで「10番か14番がいいです」とリクエストしたという。10も14も埋まっており、クラブから提示されたのが「7」だった。

中山には、新しい7番の歴史を作ってもらいたい。いよいよ大嫌いなストーブリーグもお終い。早く、春来い。

クルマ、運転を覚えたのがキャブの1.0Lのミニでスピードメーターと水温計と燃料計しか付いてなかった。だいたいクルマからの情報はエンジン音かハンドルからの反力か視界からのスピード感でダッシュボードなんてろくに見やしなかった











今週末の良かったこと


三年日記

三年分が終わって、新しい三年日記になった。三日で終わる予想は大きく期待を裏切って三週間、三ヶ月、三年と大幅に記録を更新した。三年日記、まっさらなページに何かを書くことが出来るのは一年目だけなので、めくるページ、めくるページが真っ白で新鮮。

流れを読む話

今年も正月休みを生き延びた。そのための心構えについて貼っておく。何回でも貼る。自戒の念を込めて。

自分のペースが保てないときには、流れに逆らうんじゃなくて、流れに上手いこと乗るようにする

したたかさとか邪気のなさとかそういう強さ。

悪いときは悪いなりに、良いときは良いなりに、そこになにかの流れを見出していくこと

流れを読むというのは、なにも見えないところから何かを見出すことで、

あれをしたい、これをしたいという「我」を張らないようにした。正月は神様のためのものなので。ここで簡単に「神様」と言っているけども、ようは「自分ではない何か」全般を指して「神様」と言っている。

出来ることなら年末年始という特別な時だけではなくて毎日をそういうふうに過ごしたい。

床屋の話

髪ボサボサだけど、寒すぎて床屋には行きたくなかった。なにかと理由をつけて、いろいろなものを先送りしている。あるものは翌日へ、あるものは来週へ、そしてまたあるものは来月へ。

毎年、年末は忙しくて髪切りに行けない。もうホントに毎年毎年。で、今年は訳あって年明けてすぐに床屋へ行った。明けると床屋も空いている。年末のクソ忙しさをどうやって切り抜けたのかという、床屋のおかみさんの何割増しか盛っている話を、聞くとはなしに聞きながら髪を切ってもらった。ほとんど味のしないホットコーヒーをごちそうになって帰ってきた。

積読について

この積読の山の中にある大物は、アダム・スミス「国富論」とチャールズ・ダーウィン「人間の由来」。そろそろいきたいとは思っている(いくとは言っていない)。

ということで、

2019年はあっけなく始まったが、例年通り、新年の誓いとか抱負とか目的とか目標はない。週末まで生き延びて月曜日が来たら書くだけ。繰り返し、繰り返すこと。

今週末の良かったこと

BBC Radio 3

BBC Radio 3 は英国放送協会のラジオで、クラシカル・ミュージックやジャズのチャンネル。インターネットで聴ける。日本の片田舎で地球の反対側の音楽がリアルタイムで聴ける。未来。

Musical Phenomenon

Jacob Collier is a musical phenomenon.

The breadth of Jacob’s musical imagination leads him to some of the classical greats including Bach, Debussy and Schumann, as well as folk song from Bulgaria and jazz pianist Brad Mehldau’s take on a Lennon and McCartney classic.

Inside Music という番組でジェイコブ・コリアーが出てた。意外なことにクラシカル・ミュージックがベースにあるらしい。祖父がヴァイオリン奏者だったとのこと。

Jacob delves into the archives of the British Library to reveal his Must Listen piece performed by his grandfather, the violinist Derek Collier.

Peter Warlock


ジェイコブ・コリアーが選んだ中に Peter Warlock の Capriol Suite があった。 Capriol Suite イイ。

Big Bangs

ハワード・グッドール「音楽史を変えた五つの発明」( Big Bangs: The Story of Five Discoveries that Changed Musical History ) 読了した。五つの発明には、記譜法、オペラ、平均律、ピアノ、録音技術を上げている。

平均律とピアノの話は一体で、科学と工学の関係みたいになっている。平均律の理想を実現するためには旋盤の発明を待つ必要があった。宗教、政治、美術、科学、工学、経済は渾然一体となっていると思う。音楽を通して世界を知ろうとすることは、そんなに見当違いではないかもしれない。

Listen to This

音楽を聴くとき、脳みそを音楽で埋める前に、知識でいっぱいにしないように、注意が必要なんだけど、クラシカル・ミュージックという全く知らない大地に踏み出すためには、そのための地図が必要。勇気を持って奥深くに分け入るためには。怖いから。ビビるから。

ギャレス・マローン「クラシック音楽の力」( Music for the People: The Pleasures and Pitfalls of Classical Music )、ハワード・グッドール「音楽史を変えた五つの発明」と来て次は、アレックス・ロス「これを聴け」( Listen to this ) 行く。

アレックス・ロス、すごく良くて、書き出しの数行で持っていかれた。

私は「クラシック音楽」が嫌いだ。音楽のことではなくて、この名称が嫌いなのだ。

ジャズ愛好家のなかには、彼らの芸術を「アメリカのクラシック」と呼ぶ人もいる。取り引きしてもいい。彼らが「クラシック」と言うなら、私は「音楽」の方をとる、と。

運動日記



ということで、

ということで、実はもう2019年なんだけど、火曜日なんだけど、いつものスタイルで2018年最終週の「今週末の良かったこと」を post する。

今週末の良かったこと

呪いを解く話。

毎年12月は、習慣になっていることが止まる。止まる理由はいろいろあるんだけど、まあ、そのうちの一つにはアレとかが含まれる。

で、習慣になっていることが止まることが悪いことなのかというと、必ずしもそうとも言えなくて、これを自分は「呪いを解く」と呼んでいる。「呪い」はノロイと読んでもいいしマジナイと読んでもいい。

今年は読書が止まった。リブログも止まった。ランニングは止まらなかった。音楽も止まらなかった。

ここ数年は、ケ(気)の11ヶ月(1~11月)と、ケガレ(気枯れ)の1ヶ月(12月)みたいな感じになっている。12月まるまる一ヶ月で中身が空っぽになって、そしてハレの日(新しい年)を迎える。そんな感じ。


口寄せの話。

アレを行うようになってからこのかた毎年12月は、誰かの一年間をとおして自分の一年間を振り返るような感じになっている。なんとなく誰かの体験を自分の体験として写し取っている感じ。これについてはうまくいえないけど、莫大なエネルギーをかけていると思う。

インプットとアウトプットみたいなそんな軽々しい話ではなくて、こう、自分の中を何かが通り抜けていく感じ。通り抜けていくというよりは、無理やり、押し込んでいるというか。なにもかもがスーっと通り抜けていくわけじゃなくて、ものによっては、ガッタンゴットンいいながら、つっかえつっかえ、通り抜けていく。


フレッシュさの話。

ベスト・オブ・ザ・イヤーとか言って今年を振り返るみたいなことやって思うのは、これくらいのフレッシュさを右手に掲げて、毎月、毎週、毎日、立ち向かうべきなんだろうな、みたいなこと。

こういう、フレッシュさを意識するようになったのが、ここ数年の一番大きな変化だと思う。新年を迎えるフレッシュさを持って毎日と向かい合うということ。難しいけど

「平成最後の」という言葉が安っぽく垂れ流されているけど、自分に立ち返って、はたして、
新年を迎えるのと同じフレッシュさで、2018年の年末を迎えることが出来たか?

今週末の良かったこと


ビリー・ジーンの話。

先週から続いて、メトロポール・オーケストラを漁っている。片っ端から漁っている。
BBC Proms 2016 というコンサート? のクインシー・ジョーンズ特集みたいなヤツで、コーリー・ヘンリー、ジェイコブ・コリアー、メトロポール・オーケストラがマイケル・ジャクソンの"ビリー・ジーン"を演奏しているという、なんだ、これは! 的な映像を発見した。言葉にするより見る方が早い。

www.youtube.com

「まるでエレベーター・ミュージックのようじゃないか」の話(または、二つの耳とその間にある脳みその話)。

BBC Proms の Richard Bona と Metropole Orkest のヤツ、「まるでエレベーター・ミュージックのようじゃないか」と言ってる人いて、確かに、一ヶ月前のオレだったらそう思っただろうな、と。

エレベーター・ミュージック、よくわからないけど、普通に考えると悪い意味だと思う。よくデパートで流れているようなイージーな音楽の話だろう。

ギャレス・マローンが「クラシック音楽の力」(Music for the people : the pleasures and pitfalls of classical music) で、私たちは日常生活で信じられないくら膨大な量の音楽、音に晒されていて、ひどい扱いを受けていると言っていた。

そんななか、クラシカル・ミュージックもまたひどい扱いを受けている、と言っていた。。つまり劣悪な環境でドボドボと垂れ流されその価値を貶められていると。

先のコーリー・ヘンリー、ジェイコブ・コリアー、メトロポール・オーケストラ、マイケル・ジャクソン、ビリー・ジーンも、一ヶ月前の自分だったら、こんなに心動かされたかわからない。そういうスイッチが無かったかもしれない。その人と同じように「まるでエレベーター・ミュージックのようじゃないか」と言っていたかもしれない。

同じ本の中で「音楽それ自体は、理解するための二つの耳と脳さえあればよい」とギャレス・マローンは言っていた。はたして自分には二つの耳と脳があるのだろうか、と思う。

/CD の話(もしくは、始まった途端、片っ端から終わっていく話)。

scrapbox.io


ベストを書いている。scrapbox なのでちょっとずつ書いている。

うすうす気がついていたことですが scrapbox でベスト的な何かを書くと、ずーっと何か書いたり消したり動かしたりし続けて、終わらないんですよね。飽きるまで

だんだんわかってきたことですが scrapbox 、ゴチャゴチャしたなかからなんとなくひとかたまりが現れるたびに切り出していくと、だんだん終わっていく感じになります

やっと終わってきた感じになりました。

始まった途端、片っ端から終わっているのだ。

2014年の話。

2000万曲聞き放題とは言ってもこの画面のどこに2000万曲という量を想像すればいいのか全然実感がわかないわけです。もしもこれがCDなら何枚分だ?というわけで、それはそれは途方も無い量でいきなり、「あなたは今この瞬間から「2000万曲の音楽という自由」を手に入れました! おめでとうございます!」とか言われたところでその実感もないわけですしましてや普通に考えて何から聞けばよいのかとんと見当もつきません。凡人であるところの自分は知っているような当り障りの無いアーティスト名を検索窓に突っ込んで探したりなんかするわけですが、もうそうすると本当に全然この「2000万曲の音楽という自由」を体感することなんて出来ないわけです。もう完全に貧乏臭いかんじになってしまいます。

掌に握り締めている、とか、ポケットに入っている、とか、そういう事にも大きな意味があると思います。リビングとかベッドサイドではなくて、掌の中にあるということ。いつでも。どこでも。

/CD のベストを書くのに FUNKstudy の始まりを掘っていた。2014年の Sony の Music Unlimited が最初だった。思いの外早い段階でサブスクリプション/ストリーミングについて、根っこに関わるようなことを書いていてビックリした。/CD に転載した。実は2014年、大きな変化が起きていたように見える。2018年12月だからわかる。当時は全然わかっていなかった。ベスト・オブ・ザ・イヤーなアドベントカレンダーにはそういう出来事を発見する意味もある。

今週末の良かったこと

f:id:taizooo:20181210174223p:plain

ジェイコブ・コリアーの話。


メトロポール・オーケストラの話。









The Metropole Orkest (or Metropole Orchestra) is a multiple Grammy winning jazz and pop orchestra based in the Netherlands, and is the largest full-time ensemble of its kind in the world. A hybrid orchestra, it is a combination of jazz big band and symphony orchestra. Comprising 52 musicians, it is versatile across many musical forms, and is equipped with a "double rhythm section“ - one for pop and rock, and one for jazz based music.

www.discogs.com


yetanotherbachstudy の話。

音楽を FUNKstudy/yetanotherfunkstudy と二色に塗り分けて聴いてきた。今度はここにもう一つの軸を導入して BACH/yetanotherbachstudy と世界を分けた。じゃあなにが BACH を意味するのかというと全然考えていないけど、世界を「ファンク」と「それ以外」に分けるのではなくて、「ファンク」と「もう一つのファンク」と分けるととても自由になった感じがあった。あとは FUNK と BACH はなんとなく語呂が良い。語呂というか字面が。

Coffee, please.

喫茶アルプス

生まれてはじめての喫茶はなんだったろうか。それは、デパートのレストランで飲んだメロンソーダだったかもしれないし、銭湯帰りに買ってもらったコーヒー牛乳だったかもしれない。記憶に残る一番最初の喫茶店は、駅通りのケーキ屋さん二階の喫茶室だった。ケーキを食べたことは覚えているのだが、何を飲んだのかは覚えていない。

池田商店

その店は細い路地を隔てて、高校のすぐ真横にあった。フェンスの向こうの校舎のすぐそこには職員室があった。冗談みたいだが本当の話だ。放課後、まずたむろっているのは帰宅部の不良連中、その後は体育会系の連中が部活動が終わるたびに入れ替わっていく。たいていは一番最初が陸上部で一番最後がサッカー部だった。値段の割に量の多いチェリオ、どこのメーカーかわからないゼリーアイス、おばちゃんのおでんやカップヌードルでいつまでもたむろっていた。次の部活の連中に追い出されるまでは。時間は無限にあった。

すかいらーく

かつて "すかいらーく" というファミレスがあった。そこの駐車場は、笑っちゃうくらい狭い。ファミレスの下をくぐり抜けてその向こう側に駐車する。免許取り立てのヤツはまずそこで枠の中にクルマを納めることでいっぱしの大人になったことを証明しようとした。たいていは斜めだった。コーヒーなんていうものは美味しいから飲むものではなく、とにかく一番安くて一番長く暇を潰すことができるもの、そういうエコノミーの問題として存在した。ドリンクバー飲み放題、なんてものはまだ存在せず、ただひたすらかわいいバイトの女の子を何回もテーブルに呼ぶためにファミレスは存在した。時間は無限にあった(リプリーズ)。

スターバックス

初めてのスターバックスは、横浜中華街だった。はるばるやってきて、食事が終わって、あっという間に仲間とはぐれて一人ぼっちだった。緑色が目を引いた。入ったものの何を頼めばいいのかわからなかった。「エスプレッソひとつ」と言った。いっぱしの大人はエスプレッソを飲むのだ。「苦いですよ」と言われた。「ダブルで」と答えた。たしかにとても小さくて、ひたすら苦かった。いまではきらびやかな季節のメニューに惑わされずに迷うこと無く「本日のコーヒーひとつ、ホイップで」と言えるようになった。それがいっぱしの大人ってものだ。

カフェ・ロッシュ

ロッシュ、奥まったところにある。比喩的にではなく本当に奥にある。洞窟に潜り込むような感じ。本物のネルでドリップしたコーヒーだ。いっぱしの大人はネルでドリップしたコーヒーを飲むのだ。かつて、実際のところ、コーヒーは全然得意ではなかった。ファミレスでひと晩中コーヒーを飲んでは、結局、次の日には胃がムカムカしていた。ちょっと背伸びしてもロッシュではカフェオレだった。ひさびさに行った。やっとコーヒーが飲めるようになった。いっぱしの大人になったことを証明した。ケーキとコーヒーを頼むと、ファミレスではコーヒーが割引になるけれども、ここではケーキが割引になる。主客転倒。世界の基準、宇宙の秩序が、カン、っと音を立てて入れ替わる。

寺崎コーヒー

甲府、喫茶店が山ほどある。街のサイズからいえばなかなかだ。地方都市の例に漏れず、中心街は郊外のショッピングモール群にやられてボロボロだ。そんななかでもいくつかの新しさが始まっている。そのうちの一つがこのコーヒーショップだ。実はこの店で一番最初に買ったのはコーヒーではなくてコーヒーチケットだった。そのころはオレンジ色の10枚つづりのコーヒーチケットがあった。壁に止められていたコーヒーチケットが眩しく光っていた。ちょうどプレゼントを探していたときだった。それから何年もたった。今も店は続いている。

呪いのようなものだ

好きってことは呪いのようなものだ

僕らは2週間に一度、ミサに行くようなもんだとおもうよ。勝ったとか負けたとか、そんなことより、

「茶断ち」というものがある。願いが叶うことを祈ってお茶を断つ、というものだ。コーヒーは呪いのようなものだ。それはマジナイでもありノロイでもある。2009年、2010年、2014年、2016年、そして2017年、甲府という小さなサッカークラブの昇格や残留を願ってあるときは一ヶ月、またあるときは二ヶ月とコーヒーを断った。時間は無限に感じられた。何回もの禁コーヒーをくぐり抜けて今も生きている。胃をムカムカさせていたコーヒーは、いまや、かけがいのないものになった。それがいっぱしの大人ってものだ。


この post は 喫茶好きゆる Advent Calendar 2018 第7日目の記事として書かれました。1日目は trss サン、そして8日目は hysysk サンです。お楽しみに。

今週末の良かったこと

f:id:taizooo:20181203114237p:plain

アドベントカレンダーの話。

インターネット、年末の風物詩、アドベントカレンダーが始まった。reblog advent calend*e*r 2010 からなので9年目になる。RAC は止まってしまったけども(いつかまたやりたいと思っているけども)、途中から分岐したベスト・オブ・ザ・イヤーなアドベントカレンダーは続いている。厳密にいうと今回が4回目。自分は主催する側の人間なので、それぞれの人達がどんな気持ちで、参加したりしなかったり、見たり見なかったりしているのかはわからないけども、自分が考えるアドベントカレンダーは、こんなものです。

https://gyazo.com/4ebd2b5c3b7ff89eb764fb6f85166ec5/thumb/1000
「四隅に細い杭を立てて、そこに縄を張る。すると空っぽのユニットができあがるわけですね。空っぽというのは満たされる「可能性」があるわけですから、神様はそれを見つけて、ふらりと入るかもしれない

https://gyazo.com/c2b6adc99c6b2a4ba2f5abaa156cd9fc/thumb/1000
「屋根付きのエンプティを「屋代」と言います。これを垣で囲うと神社の基本ができる。何もないところに神様が入るかもしれないという、可能性がそのまま構造化された


書けなかった話。

アドベントカレンダー、決めていることがあって、それは自分が主催者なので、必ず一番最初は自分が post するということ。今回、全然書けなくてヤバかった。内容を考え始めたのが11/27。三年日記によると2017年も2016年もだいたい同じで、この日から書き始めていた。最初にガーッと大雑把になにかを貼っていってだいたい形が見えてきたところで、なんか、ピンと来なくてそのまま一晩置いておくことにした。翌日見直したけどもどう見ても一度書いたことがあることばかりだった。この「今週末の良かったこと」で書いているものだった。じゃあ、ってんで引用に置き換えていったら、コピペしたものを並び替えているだけになった。Ctrl-A して Delete した。 途方に暮れた。そしていよいよ11/30金曜日、そろそろやるかと PC と向き合うもののテキストエリアに書かれたのはただの三行。ちょうどいい具合に金曜夜の映画で「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」をやっていてゲラゲラ笑いながら見ていたらあっという間に深夜0時。で、



循環の話。







スローターハウス5の「そういうものだ」は、「2017年を探す」のとても大事なキーワードだったのと、あの記事はちょっと老害入っているかという気持ちがあったのと、それに対しての「ダンシング・ヒーロー」の話だったから。忘却と再生。循環の話。


サッカーの話。


twitter.com

2018年を探す


三年日記

三年日記、この12月でちょうど3年分になる。2016/01/01から2018/12/31まで。1ページに2日分が縦に3年分で横罫の日記を90度回して縦書きにして使っている。なぜ縦書きにしたのかというと、ちょうどその頃、 web の文章、例えば先見日記とかを bookmarklet で縦書きに変換して読むのが気に入っていたから。縦書きの横スクロールというのはこれはこれで素晴らしいインターフェイスだと思う。

最初のうちは箇条書きみたいな感じだったけど、しばらくすると散文になった。横書きだと箇条書き、自然な感じなんだけど縦書きだとしっくりこなかった。あと手書きだと文章を考えるスピードより文字を書くスピードの方が遅いせいなのか「てにをは」で言葉を繋いでいくほうが自然な感じになった。いまでは文章を書くというのは言葉と言葉を「てにをは」でリンクしていく作業なんだ理解するようになった。手書きで書くようになって新鮮だったのは文字の横棒が一本足りなかったり点が一つ少なかったり、一画二画足りなくても全然問題が無いということだった。

手書きで文字を書くようになって辞書を引くようになった。それでも画数の多い漢字はスピードが足りなくて、一画二画省略するのでは足りなく、カタカナを使うことが多くなった。明治の人たちが英語に漢字を当てたことと、万葉の女性たちがひらがなで日記を書いたこと。日記を書くというのは別に狂った女性たちだけの特権ではない。

三年日記、2016年、最初の一年は読み返さなかった。読み直すことは全然期待していなかった。どちらかというと書くことでその日のことを一旦お終いにしてすっかり忘れてしまう、ということの方が大事だった。三年日記が大きく意味を変え始めたのは二年目、2017年に入ってからだった。隣りに一年前の日記が残っている。一年というのは大したもんで大抵のことはすでに忘れている。どんなに楽しかったことやどんなに面倒くさかったことがあってもどれも大した意味がなかったように見える。さて2018年、今年、三年目に入るとまた違う景色が見えてくる。意外なことになぜか同じようなことを同じような時期に繰り返し行い、同じような時期に同じような感情を抱いたりしていることがわかる。人というのは季節、月日に大きく影響を受けていて感情というのはかなり固定的だ。

三年日記に書かれることは毎日毎日だいたい同じことだ。仕事をした。なにを食べた。腰が痛い。何をしたかが書かれる。何を思ったかが書かれることはほとんどない。ただ書かれている出来事の日々の並びからなんとなくその頃の記憶が思い出されて、その頃の感情が蘇ったりする。感情というか雰囲気。気分。

今年の夏、トランス・ジャパン・アルプス・レースが開催された。日本海から太平洋まで400km以上を8日間で縦断するというものだ。盆休みの最後、8日目、制限時間が迫る夜中、選手たちが南アルプスを下って太平洋を目指す姿を追った。スマートフォンの小さな画面の中を移動する小さな点々。twitter を流れるノイズだらけのハッシュタグと Facebook に投稿される断片的な写真と数十分おきに更新される GPS の軌跡。0時が迫る頃トラフィックはあふれ GPS のページは表示されなくなった。自分も含めて人というのはこれだけの限定的な情報でも感動したり共感したり出来るのだなと思った。GPS の点々と日記に繰り返し書かれる代わり映えしない言葉。

三年日記、木曜日には決まってかかれる言葉がある。「木曜日なので、夜、実家で食事」。三年間なので約150回の「木曜日なので」が並んでいる。10年ほど前、オヤジが亡くなってからのことだ。それからオフクロは一人で生活している。10年、500回の「木曜日なので」。木曜日の夜、会社帰りコンビニで食事を買い実家で食べ、別になにを話すわけでもなくテレビを見て、そして帰る。日記にはそれ以外のことは書かれなかった。何を食べたか、何を話したか、何のテレビを見たか、どんな表情だったか。全ては余白に隠れている。今年の11月の木曜日が最後の「木曜日なので」になった。なにも残らなかった。しかし確かにその時間はあった。それだけは確かだ。そういうものだ。

「今週末の良かったこと」

さて、わたしたちは残念ながら毎日の中でその日に起きた事柄や湧き上がった感情や考えたことのどれがその後重要な鍵になるか見極めることは不可能だ。例えるなら真冬から少しだけ春に近づいた日々に木々の色合いがわずかに変化する様子をその日一日だけで見極めることが出来ないということ。数ヶ月の後に見比べたなら明らかに季節の変化は木々の色を変えるけども毎日の中でそれを知るのは困難だ。小学生のころアサガオの絵日記の宿題があった。毎日その様子を絵に描くのだが、毎日にそんなに変化はない。子供心にもそれだと面白くないと思ったのか少しずつデフォルメして描いていた。気がついたときには実際のアサガオより絵日記のアサガオの方が大きく成長した。そういうものだ。

おくのほそ道、松尾芭蕉に同行した曽良の日記が残っている。曽良随行日記と呼ばれている。書かれているのはどこそこの誰々とあった、何を食べた、どこそこの角を曲がりどこそこから何里の進んだ、というものだ。そこにはなにも面白いことはない。普通に日記を書くということはそういうことになるのだろう。自分自身の三年日記を読んでいるように感じた。正岡子規の仰臥漫録や夏目漱石の修善寺日記などというのはごく普通のわれわれには書けない。百代の過客でキーンは大抵の日記は実に退屈で面白い日記はだいたいにおいて書き直されている。脚色されていると言っていた。

「今週末の良かったこと」、2015年6月から始まった。もともとは cut_c サンの「今日の良かったこと」「今日の悪かったこと」の真似だった。大抵のものはみんな誰かから盗んだものだ。毎日は無理だな、というのと、悪かったことは考えたくないな、という単純な理由だった。一番最初は twitter に書いていた。だから箇条書きな感じに三行くらいだった。コーヒーのフレーバーみたいに「甲府勝利」とか「さんぷくのつけそば」とか「寺崎コーヒー」とかただ単純になにかが並んでいた。2016年からは tumblr の text post になった。書かれている内容はそんなに変わらなかった。不思議なもんで書いているうちにただ単語の羅列だったものがだんだん文章になってくる。文章の長さは気まぐれに長くなったり縮んだりを繰り返しながら徐々に散文になっていった。

「今週末の良かったこと」、最初は本当にその週末の出来事、事柄、雰囲気を書いていたけど、だんだんその週のまとめを書くようになる。書かれるのは読書のこと、音楽のこと、サッカーのこと、コーヒーのこと。走ること。だいたいそんな感じ。なんでも書けるわけではない。所詮、文章などというものは文章として書けるようなものしか書かれない。書かれるものよりも書かれないものの方が遥かに多い。

「今週末の良かったこと」が散文形式になっていくところは、たぶん先見日記の影響を受けている。先見日記は世のひとかどと呼ばれるような人たちが2002年から2008年まで交代交代に毎週毎週書き続けたもの。自分が先見日記を発見するのは2015年1月のことで、発見したからには掘るんだろうな、という言葉を残した通り、それから1年と数ヶ月をかけて延々と読み続け延々とリブログし続けた。先見日記はブログ以前の出来事なのでその形、書かれている内容、雰囲気が新鮮だった。先見日記以降、いろいろな日記を読むようになった。

「ベスト・オブ・ザ・イヤー」

「今週末の良かったこと」、本当はポップ中毒者の手記になりたかったのだと思う。でも無理だった。ポップ中毒者の姿勢とかその行動はマジアレさんに教わったことでもあった。でも自分はポップ探求者ではなかった。ポップ中毒者が時代の先っぽで轟々と流れている時間に立ち向かって髪の毛をボッサボサにしながら真っ赤に染まった目をカッと見開いて仁王立ちにしている感じには憧れるけども、自分はどうかんがえても墓掘りであり時間の洞窟を地下深く潜っていく方の人間だった。そのことに気がつかされたのは 「ベスト・オブ・ザ・イヤー」アドベントカレンダーだった。

「ベスト・オブ・ザ・イヤー」、高らかに「今年こそはきっと私もカッコイイ幕引きが待っているに違いない。」と宣言したものの、実際のところカッコよさとは一年をどういう言葉で綴るのかではなく、一年をどういう姿勢で過ごすのか、という話だった。自分の持っている姿勢、フォルムはポップではなかったし、別にポップである必要なんて全然なかった。

「ベスト・オブ・ザ・イヤー」で自分が書いているものは2013年の「 tumblr 創世記」の形が元になっている。その初期衝動は2007年からずっとあった。インターネットを再発見したのが2007年の tumblr だった。そのとき感じたこの世界、インターネット、未来はすでに過去になってしまっている。わたしたちは未来を生きている。この10年はだれかが見たかった未来でもあり、だれかが知りたかった過去でもある。だれでもなくわたしたち一人ひとりが過去と未来をリンクするこの一点に立っている。その両方を繋ぐのは自分だけにしか出来ない。だれも書かないのであれば自分が書くしかない。だから2017年の「ベスト・オブ・ザ・イヤー」が全然2017年のベストについてではなくこの10年のインターネットのアイコンである tombloo について書かれたのは自分にとっては自然なことだった。

2018年、「今週末の良かったこと」をそれまでの tumblr からはてなブログに移した。「ベスト・オブ・ザ・イヤー」と同じ形で毎週毎週、書こうと思った。とにかく必ず月曜日に post すると決めた。書ける範囲で精一杯書く。書けないときはとにかく何かを貼る。とにかく続ける。そういうことを考えていた。結果何が起こったというと今回の「ベスト・オブ・ザ・イヤー」で書くことが無くなった。何回何回もこねくり回したが結局、一度書いたことがあることの再生産になってしまった。全然面白くなかった。一年の変化の中からは認知出来ないことを書こうと思った。

三年日記、「今週末の良かったこと」、「ベスト・オブ・ザ・イヤー」という3つの日記、記録からこぼれ落ちるものってなんだろうか、と考えていた。インターネットの10年間で理解したことの一つは AutoPagerize で、それは時間軸を移動すること。認知の範囲には限界の底( dsbd の底)があって、でも実際にはその底の向こう側にも世界が広がっていること。もう一つは Powers of Ten で空間のスケールを変化させること。いくつもの階層が折り畳まっていることと、その外側には別に龍は住んでいないこと恐れることはないこと。

2018年12月の時点で過去を振り返ったときにその方向から見たときには見えなくなることがある。今、結果的に残ったものしか見ることが出来ない。生き残った、三年日記、「今週末の良かったこと」、「ベスト・オブ・ザ・イヤー」以外のものは消え去っている。それは読書の記録だったり「管制塔ノート」だったり「能率手帳」だったり積読のままの本だったり wishlist に残ったままの CD だったり禁コーヒーの話だったり見に行けなかったサッカーの試合だったり。生物の進化において系統樹は生き残った種の枝しか描かれない。あったかもしれない現在や未来の枝は存在しない。それは余白になる。だから自分自身の視点を過去のある位置まで移動させてそこから未来の方を見ないとならない。あったかもしれない未来を知るにはそれしか方法がない。

自分自身のタイムラインを AutoPagerize することはあまり考えたことがなかった。実際にその過程で見たこと感じたことのうち文章に出来ることはほんのわずかでしかない。そして書かれなかったことはまたきっとあっという間に忘れてしまうだろう。それだけじゃなくて書かれたことも忘れ去られてしまう。書くことにはそういうところがある。書いて忘れる。忘れることで先に進む。わたしたちは毎晩毎晩ゆっくりと死んでいて、毎朝毎朝ゆっくりと生まれ直している。そういうものだ。さあ、そろそろ時間です。

では、ボタンを押して、ハイ、おしまい。


この post は 2018 Advent Calendar 2018 第1日目の記事として書かれました。
明日の第2日目は youkoseki サンです。お楽しみに。

今週末の良かったこと

f:id:taizooo:20181126135543p:plain



















powered by hatena blog.
the nikki system for lifelogging junkies.

all posts © their original owners.
writing is reusable solely under the by creative commons license.