2007年から以降のインターネットでの日々、全てが「日記」、つまり、文字通りの「日々の記録」として残されるのだ。 tumblr や twitter や hatena や scrapbox や notion や これから現れるまだ見ぬなにかに、
などとボヤーっと考えていると、すごく視界が開けてくるような気がした。
インターネットにわざわざ書き残すことの意味みたいなの、確実に存在する。もうそのことに迷う必要はなさそう。だって本当にそれを実践してきているので。それは無自覚に、本能的に、意味もわからず、実践されてきた。
意味とか理由なんて、あとから見出されるのだ。先じゃなくて、後から。
わたしの十年以上の日記はもう一本化して読み直すことはできない