「教授とは社会を見るまなざし、文化を見るまなざしでつながることができた」後藤正文が語る、社会に生きる人間としての自分と坂本龍一 | TURN
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そもそも、音が“聞こえてくる”なんてことはないと思ってます。聞こえてこないです。それを聞かなきゃ聞こえない。絶対。僕たちって人の言ってることを聞かないことができるじゃないですか、シャットダウンしたりして。耳ってかなり能動的な感覚器官なんじゃないかって思ってるから。
で、逆に聴こうと思ったら、ものすごい解像度で聴けたりすると思うんですよね。ただ、自分の身体的な準備っていうか、聴くっていう意味でのアスリート的な身体性もあると思う。それが整ってないと一体何が鳴っているのかよくわからないとか、そもそも判別できないとか、レイヤーを理解できないとかが起こる。好きでもない音楽を聴いたら全部一緒に聞こえるっていうのと同じように、差異がわからない。この差異について敏感になるっていうことは、聴くってことですよね。