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今週末の良かったこと

「アースダイバー」の話(もしくは、愛宕山、夢見山、大笠山の話)。

いつも走っている愛宕山、夢見山、大笠山に連なる山塊の中腹に小さな円墳がある。二ツ塚古墳。5世紀頃、古墳時代中期のものらしい。

中沢新一は「アースダイバー」で、平地に突き出た丘陵地帯には寺社や神社や墓地がよく見られるが、それはそういう場所はもともと特別な場所で、あの世とこの世を結びつけるような意味があったと言っている。

愛宕山、夢見山、大笠山は秩父山塊の南の端から甲府盆地に突き出した半島のようになっている。その山裾にはいくつもの寺社や墓地が連なっている。


「甲斐の歴史をよみ直す」の話(もしくは積石塚の話)。

網野善彦は「甲斐の歴史をよみ直す」の最初の章で、八人山、大蔵経寺山にかけて存在する膨大な数の積石塚について触れている。

八人山、大蔵経寺山は愛宕山の東側にあたる。積石塚の由来には朝鮮半島、高麗とのつながりがあると考えられていて、相当数の高麗人の移住、永住があったとしている。彼らが大陸からもたらした最先端技術の一つが「馬」だった。

なぜ彼らがこんな辺境の地にやってきたのか。


時間軸を遡る話(もしくは、ネットワークの話)。

遡ること縄文時代、八ヶ岳南西麓は日本有数の集落群があったことで知られている。尖石遺跡は青森、北海道との交易があったことがわかっている。その交易のネットワークとなったのが河川だった。日本海から信濃川という経路と、太平洋から天竜川という経路があった。

網野善彦は朝鮮から北陸、日本海から信濃川を経由して高麗人が甲府盆地にやってきたと考えている。川や海は人々を分かつ障壁ではなくて、交流するためのネットワークだった、としている。

そして甲府盆地は、陸路は東山道と東海道の連結点になっていて、河川は太平洋から連なる富士川に流れ込むたくさんの川が連結して膨大なネットワークを構成していた。


スケールを拡大する話(もしくは、交流とフローの話)。

ここで少しスケールを大きくする。もともと日本列島は東アジアの北と南をつなげる陸橋だった。そこは北と南の文化が交流する場所だった。人々が出会う場所には交易が生まれる。交易がある場所には情報が集まる。情報が集まる場所には人が集まる。ここに正帰還ループが発生する。日本国という形が出来上がるずっと前からそういう場所だったわけだ。

ミハイ・チクセントミハイは「フロー体験入門」で、人は他者との交流でフローを体験すると言っていた。フローは「チャレンジ」と「スキル」のバランスの中で発現するからだ。未知の文化との交流はとてつもなく大きく刺激的なフローを生んだに違いない。


コンペティションの話(もしくは、「進む」か「止める」かだけの話)。

tjar の選考会に合格したが抽選で落選となった人が tjar から3日遅れのスタートから7日間19時間07分でゴールしたそうだ。興味深かったのはその方の目的の一つに「 tjar に参加した選手たちが「感動した」と発言し、大会に魅了されているが、自分は感動するのか、魅力を感じるのか?」というのがあって、そして「感動はなかった」と言っていたことだ。

ジョー・ヘンダーソンは "think fast" の初めの章の一つで、「友をつくる」といって、他者との関係について述べている。 "Competition" という語はラテン語に起源があって "com-" 共に、 "petere" 求める、追い求める、という意味がある。自分と他者との関係において初めてコンペティションは成立する。そしてコンペティションにおいては順位が1番になった人だけではなくて、全ての人が勝者となりうると。

望月将悟サンは田中陽希サンとの対談のなかで「「追われる」という感覚が強かったんですよ。でもだんだんそういう気持ちも弱くなってきて、一緒に戦う人がいるから自分も頑張れるし、抜かれないように一歩一歩前に進むんだと思えるようになってきた」、「逆にレースのようにライバルや大会スタッフが近くいると、あまり余分なことを考えないですむからね。選択肢が限られていて、極端に言えば、「進む」か「止める」かだけ」と言っている。


サッカーの話(もしくは、同じ方向を向いている話)。

甲府 vs 京都戦。アウェイ。1-1 ドロー。DAZN 観戦。

またしてもセットプレーからの痛恨の失点。そして後半ロスタイム、PK からの得点。そして命をつなげるドロー、勝ち点1。

京都には堀米が完全移籍で1年間お世話になっていた。そしてあの2005年、奇跡の J1 昇格、J2 最終戦の杉山新のシーン。2012年、ホーム戦での手痛い敗戦と最終戦での24戦無敗をかけた一戦。いろいろな因縁がある。

対戦相手、勝負は時の運で、戦うときは「ぶっ飛ばす」という気持ち満々だけども、だからといって憎むべき相手というわけではなくて、共に立つ、同じ方向を向いている、という感じがある。

コンペティションからは縁遠い場所にいるんだけども、コンペティションにあるものって、そういうものかな? と思ったりする。

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