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今週末の良かったこと

2021AC2021

2021 Advent Calendar 2021

2021年のベスト・オブ・ザ・イヤー・アドベントカレンダーが無事完走した。今回止まったのは三年日記だった。


via https://suzuri.jp/taizooo/9015422/acrylic-block/m/clear

https://twitter.com/taizooo/status/1474589623238422532

祝祭は終わった。

https://twitter.com/taizooo/status/1474589542430961664

バカみたいに tweet するのも、もうお終い。

世界文学全集 短篇コレクションⅠ

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読み進めている。 コレクションⅠはヨーロッパ以外の作家、 コレクションⅡはヨーロッパの作家による短篇集とのこと。なんのひねりもなく作家の生まれ育った場所だけで分けられたこの二つの違いは、ファンタジーとリアリズムの違いだ、とある。

短篇コレクションⅠ、冒頭のフリオ・コルタサル「南部高速道路」にすっかりやられてしまった。

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折込のチラシがついている。こちらにその全集についての解説が載っている。コレクションⅠは「短篇の時間、長篇の時間」。

「長篇小説というのは基本的に伝記であり年代記である。そうではない型式、技法が勇敢な作家たちによって開発されてきた。その代表例が、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』と ジェームズ・ジョイス『ユリシーズ』」。

そして「短篇小説は長篇小説に対して短い時間を扱う。そのために長い時間をカットしたりスキップしたり場合によっては巻き戻したりしている」と。そう、つまり短篇小説はタイムマシン、タイムトラベルなのだ。

「南部高速道路」についてこのように書かれていた。

「八月のうだるような暑さ」の日曜日の午後に始まり、翌日になり、翌々日になり、そのうち時間の経過は加速されて、寒さが厳しくなり、雪が降り……と書けばわかるであろうが、この話の中の時間はリアリズムを大きく逸脱したファンタジーの時間なのだ

そういえば、2021AC2021 で youkoseki サンが書いていた短いフィクション? も時間を操作してたな。

それから解説には「イソップの寓話や『今昔物語』にはことの経緯はあっても時間はなかった。違う性質の時間を組み込むのが現代の短篇の原理なのだ」とあった。カルヴィーノ「イタリア民話集」、柳田國男「遠野物語」読み直そうかな、とか思いつつある。

今週末のプレイリスト

1曲目は1年前のプレイリストから Kan Sano "Untitled (How Dose It Feel)。プレイリストのタイトルが "Untitled" というのもまたイイかな、みたいな気持ちもあった。

手癖になっているアーティストについて tweet でつぶやいてから意識して外すようにしてる。

https://twitter.com/taizooo/status/1470367818478759945

「今週末のプレイリスト」手癖になってる選曲ってあって、それは、サン・ラ、ララージ、マイク・クーパー

他にも、ベニー・シングス、ジェイコブ・マンとか。逆にサム・ゲンデル、サム・ウィルクス、オリバー・コーツは好きすぎてわざと外すようにしていたり。毎週末なので、なかなか大変。

今週末の良かったこと

備忘録的な

今日、死ぬほど忙しかったので、忘れないように

  • ステーショナリー・バイク 90分、5分に1回立ち漕ぎすると飽きない、みたいな技
  • 本屋という名の裏山で2時間
  • 世界文学全集とは
  • 加速劣化試験 3時間15分
  • 5℃を下回ったときのランニングの服装について。いよいよタイツ着用した(おたふく手袋のタイツ)。そしてウインドブレーカーはモンベルのゴミ袋みたいなヤツ
  • 天皇杯は見なかった
  • 今週末のプレイリスト

プレイリスト

今週末の良かったこと

加速劣化試験とか

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土曜日は「加速劣化試験」と呼んでいるメニューで3時間、日曜日は5分:1分のウォークブレイクで2時間走った。なんかひさびさに思い描いたとおりの量、時間、走れた。12月はこのままダラダラ走って、祝祭が終わって正月休みが終わったら裏山に入れるくらいまで仕上げたい。

走り出しが11時くらいでそれから2時間走ると、気温が10℃~13℃くらい。風さえ吹かなきゃまだ全然短パンでいける。長袖Tとその下にドライレイヤーを着てバギーズショーツ。あとコンビニで買えるような裏表のない毛糸の手袋と、バイザーのついたダサい毛糸の帽子を被っている。猛者たちが教えてくれたアメ玉をごっそりポケットに突っ込んで走っている。美味しくてバリバリ食べちゃう。

読書は止まった

呪いが解けてて、読書が止まりつつある。そうはいっても、ちょっと頑張ってみるか、ということでジェイムズ・グリック「タイムマシン」を書見台に載せた。載せただけで終わった。

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サッカーはなかった。サッカーはあった。

オレたちのサッカーはなかった。しかし天皇杯準決勝があった。大分 vs 川崎の試合は凄かった。

www.jleague.jp

引き分けのないルールでは、サッカーは違うスポーツになる。 J1 覇者の川崎が破れて J1 降格する大分が勝利した。サッカーの女神は気まぐれだ。

それから、

今週末のプレイリスト。1曲目は1年前のプレイリストからサン・ラ。

今週末の良かったこと

2021 Advent Calendar 2021 開幕

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アドベントカレンダーを主催する上での3つの責任のうち、1) 25枠を埋めること、2) 初日に post すること、が終わったので、最後の1つ、3) 25日間必ず完走させること、に集中する。こんなもの、本当に怪しいバランスでなりたっているので、毎日途切れずに続くことは奇跡としか言いようがない。そこにこそ価値があるし、意味がある。

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https://twitter.com/taizooo/status/1460530708640718849

ラインナップから溢れる、(オレの考える)インターネット感が半端ない

最終節

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甲府 vs 水戸 ホーム 小瀬 3-3 ドロー。
リードされて追いつき、またリードされて追いつき、そしてまたリードされてロスタイムに追いついた。残念ながら5連勝にはならなかった。勝点はドローの1を加えて80となった。

今シーズンは終わった。

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ストーブリーグは嫌いだよ。

読了

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ブルース・チャトウィン「黒ヶ丘の上で」読了した。

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読み始めたのが11/7。本が届いたのが7月。たまたま在庫があった。今はない。

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次、なにを読むか。

今週末のプレイリスト

1曲目は、1年前のプレイリストからプリンス "Musicology" 。一番最後のベニー・シングス "On Christmas Morning" がヤバかった。気をつけないと心を持っていかれる感じ。

2021年を探す

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intro

2021.01.23 Saturday ニセコなだれ情報 第46号
http://niseko.nadare.info/?eid=1069489

「雪は素晴らしく良いが天候急変に注意。等圧線が狭まればすぐに吹雪く。」

「滑るならフォールラインを。昔スコット・シュミットはここを3ターンで滑っている。谷は雪崩の走路となる。谷底にいてはならない。ヘルメットの着用とビーコンの携行を勧める。これらの道具は自分を守るだけでなく仲間の命も守る。良い週末を。」

1.0

ブルース・チャトウィン「黒ヶ丘の上で」、1900年にウェールズとイングランドの境界の村で生まれた双子の100年の物語だ。そこはウェールズからもイングランドからも遠く、辺境の地と呼ばれている。英雄でもなければ悪者でもなく、喜劇でもなければ悲劇でもなく、淡々と日々の生活が描かれる。たとえ世界の涯であったとしても、20世紀を生きるということは、そのあとに続く雪崩のような流れの中を生きることを意味する。歴史の中にはフォールラインが走っている。

1900年に生まれた彼らと、100年後を生きるわれわれは、相似の位置にいる。まるで鏡をはさんで向う側と、こちら側にいるかのようである。

1.1

1914年7月、大きな戦争が始まった。それは後に第一次世界大戦と呼ばれるようになる。まるで一つの存在のように一つの家、一つのベッドをともにしてきた二人は、違う町、別々のベッドで日々を生きることになった。ヨーロッパは1815年のワーテルローの戦いのあと戦争を経験していなかった。だれもがいつか戦争になると思っていたけどもそれがどんなものになるかわかっていなかった。

100年前、伝令と騎兵と歩兵だった戦争は、100年後、電信と鉄道と機関銃と戦車の戦争となった。

1.2

1918年11月、あらゆる場所を穴だらけ焼け野原にして戦争は終わった。弟は兵舎の営倉の病室で苦しんでいた。彼はスペイン風邪をひいていた。門の外では兄が中へ入れろとわめいていた。彼の目の前には銃剣を持った歩哨が立ちはだかっていた。

1.3

2020年1月、新たな感染症が世界に広がった。それは後に COVID-19 と呼ばれることになる。最初は中国、武漢での出来事だった。しばらくしてそれは横浜港沖のクルーズ船での出来事になった。そのうちにそれは世界、日本、そして半径3mでの出来事となった。ソーシャルディスタンス。人類はスパニッシュ・インフルエンザのあと疫病を経験していなかった。だれもがいつか危機がやって来ると思っていたけどもそれがどんなものになるのかわかっていなかった。

100年前、経験と迷信と洞察力と信仰と行き当りばったりだった感染症との戦いは、100年後、かたや、 PCR 、ワクチン、医学と科学の進歩と、こなた、デマ、中傷、分断といった鈍臭さとの戦いになっていた。テクノロジーは進歩したが人類は全然進化していなかった。

1.4

2021年7月、何回目かの大きな感染拡大のあと補欠リストからの繰り上がりでワクチン接種に滑り込んだ。前々日の金曜日、「急ですけど、どうします?」と聞かれたけど、あまり深く考えずに「打ちます、打ちます」と返事した。だんだん重くなる左肩を引きずってその足で本屋へ向かった。トマ・ピケティ「21世紀の資本」、ブランコ・ミラノヴィッチ「大不平等」、そしてピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」を買って帰ってきた。寝込んだら本でも読もうと思っていた。寝込まなかった。

2021年8月、それまでと比べようもないほどの感染拡大が広がっていた。2回目の接種、史上最高の体温を記録して2日ほど寝込んだ。本なんて一行だって読めなかった。ベッドの足元には空のペットボトルが何本も並んでいた。

2.0

2021年1月、何冊か本を買った。世界を揺さぶる感染症との戦いなんて知ったことかという1ヶ月に渡る祝祭が終わって、とにかくなにかが始めたかった。とにかく分厚いヤツが欲しかった。手当り次第に手に取った。アルフレッド・クロスビー「史上最悪のインフルエンザ」、ウォルター・シャイデル「暴力と不平等の人類史」、アンドレア・ウルフ「フンボルトの冒険」。本当に断続的に、何年かに一度、読書期がやってくる。2021年は2017年以来の大きな波になった。

「史上最悪のインフルエンザ」はその後、宇野重規「民主主義のつくり方」、ルイ・メナンド「メタフィジカル・クラブ」、そして「プラグマティズム古典集成」からなんと哲学へと進んで袋小路にハマった。

「暴力と不平等の人類史」はその後、トマ・ピケティ「20世紀の資本」、ピーター・ドラッカー「傍観者の時代」、アレックス・ロス「20世紀を語る音楽」を巻き込んで、ブルース・チャトウィン「黒ヶ丘の上で」と思いも寄らない方向に繋がっていく。

2.1

2007年7月、インターネットの前衛、周縁、辺境、境界、世界の涯、まあなんと呼んでもいい、 tumblr の dashboard にログインして以降、世界の見方は間違いなく変わった。トンカチをもっている人間には全てがクギに見えるように、世界にはあらゆる方向にリンクが貼られているように見える。

ここまで続くこの読書もリンクを辿る旅でそれは2011年、ローレンス・レッシグ「CODE」から始まった。驚いたことにそれは、2003年に初めて Amazon で購入したうちの1冊だった。8年間の積読山脈。忘却と再生というループは歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れる。

2.2

松尾芭蕉は「おくのほそ道」でリンクをたどるように旅をしている。 芭蕉の旅が古典、歌枕のリンクをたどる旅だったように、インターネットでリンクをたどることは歩くことに似ている。人は一度に一つの道しか歩くことが出来ない。同じように人は一度に一つのリンクしかたどることが出来ない。

バラバーシ・アルベルト・ラースローは、ただひとりの人との繋がりをもっているだけで世界中の人とつながる、と言っていた。リンクが臨界数に達したときネットワークに根本的な変化が生じる。閾値は 1 だ。ただ一つのリンクを見つけることが出来れば、世界に接続することが出来る。「つながる可能性にリンクを開いておく」。

3.0

「フンボルトの冒険」、原題は "The Invention of Nature" つまり「自然を発明した」。 ここでいう自然というのは「生命の網」"the Web of Life" のことを言う。 自然は、一つ一つバラバラの事象がてんでバラバラに存在いているのではなくて、それぞれがリンクしている。その全体の繋がり、広がりにこそ本質がある。 この本の中で、フンボルトに影響を受けた人たちについて、それぞれ一章を当てている。フンボルトは歴史の上では、スケールフリーネットワークでいう巨大なノードとして存在する。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、トーマス・ジェファーソン、シモン・ボリバル、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、ジョージ・パーキンス・マーシュ、エルンスト・ヘッケル、ジョン・ミューア、そしてチャールズ・ダーウィン。ダーウィンはビーグル号の航海に、フンボルト「新大陸赤道地方紀行」を携えていった。

3.1

チャールズ・ダーウィン「ビーグル号航海記」は5年間の旅の記録だ。その旅もリンクを辿る旅だった。大西洋からマゼラン海峡を回って太平洋へ、ガラパゴス諸島、オーストラリア、アフリカ喜望峰を回って再び大西洋へ。

その後、二度と海を渡ることはなかったが、彼は系統樹、つまり進化というリンクを描いた。

3.2

「ビーグル号航海記」、読み終わるのに8ヶ月くらい掛かった。8ヶ月かかってもダーウィンが船上で過ごした5年と比べるとはるかに速い。読むことと書くことはそのスピードが全然違っていて、そこには大きな非対称性がある。作者が命を掛けて何十年も書き続けた作品を派手に手荒に適当に扱って木っ端微塵に読み散らかすことも出来るし、そのまま放っておいて何年間も積読山脈に積み上げておくことも出来る。自分たちが完全に主導権を握っている。そこに読書の素晴らしさがあると思う。

本を読むことは、自分が実際に過ごしている時間とは別の時間軸を持つことになる。そしてそのスピードを上げたり下げたり、ページを飛ばしたり戻ったり出来る。時間は相対的なものだ。それは延びたり縮んだりする。発展と停滞というループは歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れる。

4.0

2019年にこのベスト・オブ・ザ・イヤーで発見したのは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だった。ベスト・オブ・ザ・イヤーといいつつその底を抜けて1989年までさかのぼった。それはインターネットの最初を追いかける旅だった。

時間は先送りしたり巻き戻したりスキップしたりリピートしたり出来る。それが明らかになったのは、1980年 VHS とベータマックスの間で繰り広げられた血の流れない世界大戦、ビデオフォーマット戦争が VHS の勝利によって終結したときだった。ハレルヤ。

4.1

葉っぱの坑夫は、日本語には未来形がないと指摘している。過去とそれ以外しかない。「過去とは、いま現在から前に存在するすべての時間。茫洋とした時のかたまり。すでに起きたこと。すでに起きたことで周知のこと」、「過去以外は、それ以外の時間。現在とその先に広がる未来の総和」。清水克行によると、中世までの日本語では「アト」には「未来」、「サキ」には「過去」の意味しかなかったそうだ。後日と明後日、先日と先々日。

過去が前にあって、未来は後ろにあった。

マーシャル・マクルーハンは、われわれはバックミラーを通して未来を見ていると言った。

「背中から後ろ向きに未来に突っ込んでいく、未来に向かって後ろ向きのジェットコースターに乗って進んでいく」。躊躇なく、背中から後ろ向きに未来に突っ込んでいく、というのは歴史家、考古学者もしくは墓掘りのあるべき姿だと思う。

4.2

ジェイムズ・グリック「タイムトラベル」によると、時間が過去から未来へと流れると意識されるようになったのは、ハーバート・ジョージ・ウェルズ「タイムマシン」の影響が大きかったそうだ。

未来が前に進んで、過去は後ろに下がった。

科学も哲学も文学もその影響から逃れられなかった。われわれは「過去から現在、そして未来へ」という一直線に貫く時間の矢印から逃れることが出来ない。

4.3

Web の中にフォールラインを描いたのは Twitter の Timeline そして Tumblr の dashboard だった。 Web に矢印が突き刺さされた。それは画面の上から下方向へ流れる、現在から過去への流れだ。

過去は積み重ならない。ただ縦に並んでいる。

5.0

2007年1月、 AutoPagerize が誕生した。ハレルヤ。それは Firefox の GreaseMonkey で動く Userscript だった。その基本的な動作は、表示しているページから「次のページの URL 」を読み込みパースして「必要な部分」を取り出し現在のページに継ぎ足すというものだった。

かつて otsune は「nクリックを1クリックにすると商売になる。1クリックを0クリックにすると革命になる」と言った。 AutoPagerize はまさにそれだった。 AutoPagerize によって初めて Web に一直線にフォールラインが描かれるようになった。インターネットはスピードを上げていった。だれもがその底を目指すように潜った。「スピード! スピード! スピード!」

5.1

かつてマイクロソフトとネットスケープの間で繰り広げられた血の流れない世界大戦、ブラウザ戦争は Internet Explorer が市場のほぼすべてを制圧して終結した。それは第一次ブラウザ戦争と呼ばれた。ネットスケープはのちに Mozilla と呼ばれるオープンソース、インターネットにおける正義を選択するが復活はなかった。しかしこのときにまかれた種子は Firefox として結実する。ハレルヤ。

Firefox は部分を成す小さなコアと、全体を成す拡張機能によって構成されていた。XUL/XPCOM といった仕組みを介して開発者は Firefox の全体にアクセス出来た。開発者は創造も破壊も可能であり何をするもの自由だった。その気さえあれば。その設計思想は、一塊の大きな物体と化していた Internet Explorer に対するアンチでありポストモダンでもあった。

3つの特徴的な拡張機能があった。 Firebug 、 GreaseMonkey 、 Stylish 。それぞれは解析ツール、 Userscript の実行環境、 Userstylesheet の実行環境だった。これらが意味したのはなんだったか。われわれは創造も破壊も可能であり何をするもの自由になった。その気さえあれば。 Web は書き換え可能なものとなった。 "Because it's your web."

5.2

2007年7月、休日出勤の気怠い昼休み、その地に第一歩を踏み出した。その名は tumblr 。ほんの気軽な気持でメールアカウントとパスワードを登録した。

なんの確認もなく呆気にとられているうちに彼の地は自分を受け入れた。あまりに殺風景な景色。なにも表示されていないまっさらな dashboard 。引用した文字はやたら大きく、自分の書く文章は躊躇したような小さな文字、なんの注釈もなく貼り付けられるフォト、そして表側右上の”Reblog”の文字。全然、意味がわからない。これはなに? ただ dashboard でくりひろげられている post の流れだけが何かを理解する手段であり場の流儀だった。ひと月と待たず dashboard の住人と化す。もう手遅れです。ご愁傷様でした。チーン。

6.0

dashboard には底がある。一つは世界の始まりとしての底。それは、David Karp によるファースト・ポストがそれにあたる。そしてもう一つの底は、われわれの世界の始まりとしての底。つまりわれわれの世紀の起源、紀元0年にあたる地点のことである。それはわれわれが初めて Tumblr を発見したその瞬間であると言える。ハレルヤ。

インターネットも底がある。Web は1991年に CERN にて Tim Berners-Lee によってその歴史が始まった。これがビッグバンの瞬間だ。

爆発的に拡大したこの網の目を見渡すためには Google Search にインデックスされている必要があるがその稼働は1997年のことだった。考古学的に Web を探求するためには地層を発掘する必要があるが Internet Archive の Wayback Machine だけがこの役割を担っている。その稼働は1996年のことだった。つまりそれ以前の Web に到達する方法はないのだ。

われわれの認識には起点が存在する。物事には始まりがある。宇宙の誕生。原始地球からの自己複製子の登場。生命の誕生。自分の誕生。自我の目覚め。ハレルヤ。

6.1

AutoPagerize は dashbord を食い尽くすようになった。その底はあっという間に浅くなった。その頃 dashboard の深さとわれわれの持っている時間の間には大きな非対称性があった。

深くフォールラインに潜るというのは、同じ情報に何度も何度も出会うことでもある。本当に重要なことは何度も何度も目にすることになる。反復、反響、エコーは大きな力を持っている。その力から逃れることは簡単ではない。そしてこの力は、大多数の人たちにとって重要ではない情報は淘汰されてしまうことを意味した。

みんなにとって大事なことには何度も何度も出会うことになる。自分にとって大事なことには出会うことさえないかもしれない。

6.2

2008年11月、 Endless Summer というささやかな Userscript が誕生する。ハレルヤ。それは AutoPagerize に寄生する小さなスクリプトだった。その基本的な動作は、表示しているページとは直接接続されなかったはずの「次のページの URL 」をランダムに読み込みパースして「必要な部分」を取り出し現在のページに継ぎ足すというものだった。

描かれるはずだったフォールラインはバラバラに分解されて過去と現在と未来という時間軸は継ぎ接ぎに繋ぎ合わされた。そこにあった反復、反響、エコーはズタズタに引き裂かれて、いつまでたっても始まらないディスコ・チューンのイントロのように成り果てた。

墓掘りたちはノイズだらけの dashboard に皆、喜んで潜り続けた。「みーんな取り憑かれてるんだ。AutoPagerize とか LDRize とか tombloo とか Tumblr とかインターネッツとか自由とか、そーいうものに。ご愁傷様でした。チーン」。

7.0

テリー・ライリーは The Harvey Averne Dozen の"You'er Nogood" をズタズタに引き裂いて、 MOOG と2台のオープンリールで継ぎ接ぎに繋ぎ合わせた。1969年、ブロンクスがブレイクビーツを発見する遥か昔の話だ。カットアンドペースト。コピー、エディット。ハレルヤ。わずか3分のその曲は、延々と交互にループで引き伸ばされて、最後、ノイズにすっかり覆われてしまった。

アレックス・ロス「20世紀を語る音楽」にはこのようにあった。「音楽はときとしてノイズに似ている。なぜなら音楽はまさにノイズだ」「どこにいようと聞こえてくるのはほとんどノイズだ。ノイズは無視するとかえって邪魔になる。耳をすますとその魅力が分かる」

イタロ・カルヴィーノは「なぜ古典を読むのか」の中で「みんなにとって大事なこと」を「時事問題」と呼び、それを「窓の外のノイズ」に例えた。そしてそのノイズは絶対に必要なものであると。なぜならそれは、自分が今どこにいるのかを指し示す指標だから。そしてこう言った。「ノイズを BGM にしてしまうのが古典である」そして「もっとも相容れないたぐいのノイズがこの世界をすべてを覆っているときでさえ BGM のようにささやきつづけるのが、古典だ」と。

7.1

ノイズとはいったいなんなのか。情報理論においてシグナルとノイズは明確に区別出来ることになっている。クルートレイン・マニフェストによるとこうある「インターネットとは一連の合意の総体である。それはプロトコルと呼ばれる」。プロトコルから外れた情報は打ち捨てられる運命だ。

生物学においてシグナルとノイズは区別がつかない。そもそもその区別に意味がない。ユクスキュルはそれぞれの生物はそれぞれの環世界を持つとした。環境から受け取る情報を元に、それぞれの環世界を構築している。情報には、利用されるものと利用されないものの区別しかない。森田真生は「数学する身体」でこう言った。「設計者のいないボトムアップ、つまり「進化」では使えるものは見境なくなんでも使われる」「物理世界の中を進化してきたシステムにとって、リソースとノイズのはっきりした境界はない」。

人間もそれぞれがそれぞれの環世界を築いている。そして他者とのコミュニケーション、対話においてもシグナルとノイズの区別に意味はない。使えるものは見境なくなんでも使われる。たとえ傍目からはそれがノイズに見えたとしても。

7.2

かつて marco11 はこう言った。「アウトプットは量多い方がいい。フィルタは各自がやればいい。この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う」。これはわれわれにとっての聖典、イコン、古典である。

みんなにとって大事なことには何度も何度も出会うことになる。自分にとって大事なことには出会うことさえないかもしれない。

8.0

クルートレイン・マニフェストはこう宣言する。「インターネットではわれわれがメディアだ」。

藤井正希によると、マクルーハンはメディアを「人間の生み出したテクノロジーの別名であり、それは人間の能力を外化、拡張したものを指す」と定義した。そしてそれを2つに分けた。「コミュニケーションに用いられるメディア」と「能力拡張のテクノロジーとしてのメディア」。

はたして、インターネットはコミュニケーションのためのメディアなのだろうか。それとも、人間の能力が拡張されたものなのだろうか。

8.1

マクルーハンは、テクノロジーの進歩とコミュニケーションの変化を「グーテンベルクの銀河系」から「グローバル・ヴィレッジ」への変化と捉えた。われわれは銀河系の住人からムラの住人になろうとしている。

「グローバル・ヴィレッジ」、グローバルという大きな世界を表す言葉とヴィレッジという小さなムラを表す言葉の合成。大きさと小ささ。スケールの大きさとその中に含まれる断裂、対立、分断のイメージ。

鷲田清一は、宇野重規「民主主義のつくり方」の書評にこう書いた。「統合ではなく対立や分断を内に抱えていることが社会の構成要件になってゆく」。断裂、対立、分断は歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れる。

8.2

クルートレイン・マニフェスト、その冒頭でインターネットが抱える3つの脅威について触れている。一つ目は「愚か者」、愚か者はいつだって勝手に地雷を踏み抜いて爆発する。場合によってはわれわれを道連れにしたりする。二つ目は「略奪者」、略奪者はいつでも親切に良心的な顔をしてわれわれをコケにしようと近づいてくる。

そして最後に、最も危険なのは三番目の大群「われわれ」であると。

だがしかし、インターネットが築き上げた栄光は、この大群で未分化で個別でバラバラなわれわれを結びつけたことにあったはずなのだ。

8.3

COVID-19 の感染拡大は、この世界、インターネットだけではなくて、この毎日、まさにこの生活の場が、目に見えない大きなネットワークを成していることを明らかにした。無症状感染と人流と感染経路と検査陽性率と実行再生産数、たちまち動きを止めたサプライチェーン、滞留し停滞するロジスティクス、乖離する実体経済と金融市場、混乱し混沌と化す政府と地方自治。断裂、対立、分断は何回も何回も、いろいろな場所で現れる。

われわれは、一人ひとりバラバラの人間がてんでバラバラに存在いているのではなくて、それぞれがリンクしている。その全体の繋がり、広がりにこそ本質がある。全てのリンクは繋がっている。

9.0

世界との向き合い方について、カート・ヴォネガットはこう言っている。「二つある」。

「まず、宇宙全体をきちんとするなんてことはできないと認めること」、「そうして二番目は、それでもほんの小さな領域を、まさにそうあるべき状態にするということ。粘土の塊とか、四角いキャンバスとか、紙切れとか、そうしたものを」。

9.1

「20世紀を語る音楽」の最後にこうある。

「反復的音楽はよりしばしば、この後期資本主義消費社会において、私たちみなが繰り返し (また練り返し、そしてまた繰り返し…) 直面しなくてはならない数多くの反復的関係性を目の当たりにして、感謝と警告と防御 (あるいはただ美的なスリルさえも) を提供してきた。私たちはこの文化のなかで同じことを繰り返してきた。私たちは同じことを繰り返し尽くすことができるかもしれない」。

9.2

私たちは繰り返し、また練り返し、そしてまた繰り返し、繰り返し続けてきたことを、繰り返し尽くすことができるかもしれない。

繰り返し尽くすことができるかもしれない。

outro

2021.12.01 Wednesday 2021AC2021 Day-1

「場は凪いでいるが人々の無関心、悪意、どうでもイイ戯言に注意。閾値を超えれば場の雰囲気は急変する。」

「潜るならフォールラインを。かつてリブロガーどもは一晩で 7889post を実行した。いまやビットは濁流となってわれわれを押し流し続けている。それでもここに留まろうとする者には、リンクを繋ぐこと、ノイズに耳をすますこと、繰り返しまた練り返しそしてまた繰り返し尽くすことが、きっと力を与えるだろう。それは自分を守るだけでなく仲間の命も守る。良い祝祭を。」


この post は 2021 Advent Calendar 2021 第1日目の記事として書かれました。
明日の第2日目は esehara サンです。お楽しみに。

今週末の良かったこと

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せせらぎ

今週末のプレイリスト。

1曲目は1年前のプレイリストから菅原明朗 "Ruscello" イタリア語で小川、せせらぎとのこと。御喜 美江 Mie Miki のアコーディオンで。2曲目はいま、掘っているジャン・シベリウスの交響曲第3番の第1楽章。3曲目は1年前のプレイリスト1曲目、スチャダラパー "World IZ... (ヤバイ男知り合いにひとりイル)" から J.S.バッハ のカンタータ140番第4曲コラール。

ja.wikipedia.org

で、4曲目が出色で、 Jacob Mann Big Band "Kogi" 。最初の3曲はこの4分ばかしの曲のための壮大なるイントロになっている、みたいな。

今週末のプレイリストのルール (2021/12月 現在)

  • 1) 1曲目はちょうど1年前のプレイリストから選ぶ
  • 2) 全部で60分
  • 3) 同じ演奏者、アルバムから2つ入れない
  • 4) 同じ雰囲気で3曲続けない
  • 5) 知ってるヤツより知らないヤツ
  • 6) 外すときは好きな曲から
  • 7) チャンスがあれば大いにパクる

1曲目を選ぶルールは2年目に突入するときに変えた。

今週末の良かったこと - copy and destroy

それで1曲目を、「心のベストテン」(好きとか嫌いとかの外側にある曲)から選ぶという縛りから、1年前の「今週末のプレイリスト」から選ぶというルールに変更した。

それから、

甲府 vs 山口 アウェイ 1-0 勝利。

2位、京都との勝点差6、で迎えた第41節。残り試合は2試合。執念や覚悟を感じる素晴らしい試合だった。だがしかし、同一時刻の試合だった京都が引き分けて、甲府の J1 への挑戦は終わった。

次節、ホーム最終戦。勝っても負けても引き分けても、次の試合が一番大事。最後の最後の最後の最後に、必ず、右肩上がりで。

それからそれから、

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2021AC2021 の第一日目に向けて、書いては読み、読んでは書いた。ちょっと体調不良なのと基本、シングルタスクなので、山も走っていないし、本も読んでいない。みなさん進捗はいかがですか? がんばりましょう、がんばります。

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今週末の良かったこと

みのぶまんじゅう

みのぶまんじゅうとベスト・オブ・ザ・イヤーの記事を書いている様子です。書きまくっている。

ベスト・オブ・ザ・イヤーと弱いつながりの話

ベスト・オブ・ザ・イヤーなアドベントカレンダー、25枠が埋まった。こんなわけのわからないアドベントカレンダーが毎年ちゃんと枠が埋まって続いていること、感謝しかない。

https://twitter.com/taizooo/status/1460895797113880579

残り1枠が埋まった瞬間の記録です

ラインナップから溢れる、オレの考える「インターネット感」が半端ない。今年もニューカマーが6名。old skool な面々からフレッシュな人たち、トレイルを走る人たちと世界にコードを刻む人たちとインターネットに潜る人たち。オレを接続点にして、すべての人が薄く弱くリンクしている、というのがまたなんとも言えない。つながるはずのないリンクがつながっている。バラバシ、バラバーシ・アルベルト・ラースローは、ただひとりの人との繋がりをもっているだけで世界中の人とつながると言っていた。

https://blog.goo.ne.jp/hajimetenotetugaku/e/ab4998d2ba7f2669d71a1d0396dd568d

リンクが臨界数に達したとき、ネットワークに根本的な変化が生じるのである。

閾値は1だ。

マーク・グラノヴェッターの「弱いつながり」(弱い紐帯の強さ)の話

今週末のプレイリスト

今週末のプレイリスト。1曲目は1年前のプレイリストからマイク・クーパーの "Bad Tempered Unprepared Guitar" 。

https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2020/12/01/000000

願わくば大好きなこの場所が、調整されていない不用意なインターネットであり続けますように。

2曲目はグレン・グールドのゴルトベルク変奏曲。ゴルトベルク変奏曲、思い入れがある。

あと2節、残り2試合、勝点差は6

甲府 vs 秋田 アウェイ 2-0 勝利。


https://www.ventforet.jp/vfkdiary/cate02/521550

これは、試合が始まる前の写真、シリアスにならざる得ないこのタイミングに最高の写真じゃないだろうか。野津田って本当に最高の選手だと思う。そしてなんとか一矢報いようとして無表情に務める鳥海とニコニコな荒木。奇跡が起きないかな、起きてほしいな。シーズンの最後の最後に、まだ希望を持って試合に望める我々は、本当に最高なチームを応援しているんだと思う。

勝っても負けても引き分けても、次の試合が一番大事。そして最後は右肩上がりで。

今週末の良かったこと

3-2

甲府 vs 松本山雅 ホーム 小瀬 3-2 勝利。


https://www.jleague.jp/match/j2/2021/111405/live/


アウェイゴール裏のスタンドは緑一色だった。新型コロナウイルス対策での開催で6,000人を越える入場者だった。1点リードで迎えた後半、5分間で4点を取り合う乱打戦になった。でも一度もリードを許さず最後勝ちきった。残り3試合、ほんのわずかな希望でもまだそれを持って試合に望める幸せ。ホームはあと一試合、最終節を残すのみ。今年も終わっていきつつある。

勝っても負けても引き分けても、次の試合が一番大事。

2021AC2021

2021 Advent Calendar 2021 - Adventar

どこにいようと聞こえてくるのはほとんどノイズだ。ノイズは無視するとかえって邪魔になる。耳をすますとその魅力が分か

ベスト・オブ・ザ・イヤー・アドベントカレンダー、エントリー開始した。2021/11/15 現在、25枠中24枠埋まっている。

https://twitter.com/taizooo/status/1458361742304501762

細くて弱いコネクションしかないから、毎回、必死だよ

https://twitter.com/taizooo/status/1341909588233207808

なんかよくわからない本当に細くてあやふやで微かで useless で、そういう繋がりだけで成り立ってるので、毎日毎日、奇跡が起きてると思うのよ、毎年毎年

奇跡が起きていると思うのよ、毎年毎年。

「戦争がやってきた」


戦争がやってきた。

フルレンの商人たちは何年も前から、やがてドイツと戦争になると話しあっていた。だが戦争が何を意味するのか、本当は誰ひとりわかってはいなかった。ワーテルロー以来、本物の戦争は起こっていなかったのだ。汽車と進歩した銃砲を使うとなれば、戦争はひどく恐ろしいものになるかすぐに終わるかのどちらかだろう、ということで皆の意見が一致していた。

ブルース・チャトウィン「黒ヶ丘の上で」ちょっとずつ読んでいる。20世紀の始まりに誕生した双子の物語。上の一文は1914年8月7日の話。第一次世界大戦が始まった。そしてそれはひどく恐ろしく長い戦いになった。

第一次世界大戦 - Wikipedia

しかし、1918年以前を生きた人々にとって、大戦争という称号はイギリスが1793年から1815年までの22年間、フランスと戦った革命戦争とナポレオン戦争を意味した」と述べた

ワーテルローの戦い - Wikipedia

ワーテルローの戦いは、1815年6月18日、ベルギー(当時ネーデルラント連合王国領)のワーテルロー近郊においてイギリス・オランダをはじめとする連合軍およびプロイセン軍と、フランス皇帝ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)率いるフランス軍(大陸軍=グランダルメ)との間で行われた一連の戦闘を指す名称である。


その頃、ベンジャミン。ジョーンズはヘレフォード兵舎の営倉の病室で苦しんでいた。
彼はスペイン風邪をひいていた。

門の外でルイス·ジョーンズが、中へ入れろとわめいていた。彼の目の前に銃剣を持った歩哨が立ちはだかっていた。

スペインかぜ - Wikipedia

スペインかぜは、一般的に1918年から1920年にかけ全世界的に大流行したH1N1亜型インフルエンザの通称。

走っていったら走って帰る

小瀬まで走っていった。ギリギリまで DAZN で見るか、ママチャリで向かうか悩んでいた。理由は体調がイマイチだったから。虫歯が砕けた結果の抜歯から来る炎症とインフルエンザワクチン接種の副反応で、体調が悪かった。ここのところ全然、身体動かせていなかった。でも外をみるとえらくイイ青空でこれは走っていくしかあるまい、と思った。13時キックオフの試合は15時に終わる。走って帰ってくるとちょうど夕焼けに空が染まり始める。


気温15℃くらいならまだ短パンでいける。

それから、

今週末のプレイリスト。

今週末の良かったこと

ブルース・チャトウィン「黒ヶ丘の上で」

読み始めた。



「黒ヶ丘の上で」、気になっていたんだけどみすず書房のサイトだとずっと「現在品切」だった。今年の7月に Amazon で一瞬だけ買える雰囲気になっていたので恐る恐る注文した。積読山脈に積まれることになった。いまはまた「在庫なし」になっている。

目次がなくて、いきなり本文が始まる。50個の章が並んでいる。ウェールズ、ラドノーシャーとイングランド、ヘレフォードシャーの境界線にある村に住むルイスとベンジャミンの双子、19世紀の終わりから20世紀の100年の物語。

ja.wikipedia.org
en.wikipedia.org

さりげなく、チャペルとチャーチ、イングランド国教会とカトリックの関係が描かれていたり、地権とか賃借人とかジェントリ(地主、貴族?)の話が描かれたり、エンクロージャーや未開拓地や街の遠景が描かれていたりする(イングランド散歩とウェールズ散歩の話)。

小説ってほとんど読んだことないんだけど、ちょっと読んでみる。いまのところとても面白い。

ジャン・シベリウス 交響曲 第5番

アレックス・ロス「20世紀を語る音楽」読了した。これの音源案内をゆっくり掘っていこうと思っている。

scrapbox.io

scrapbox.io

まずはジャン・シベリウスの交響曲第5番から。なぜ最初にこれを選んだのかというと、ダルムシュタット夏期音楽講習会の講習会で、モートン・フェルドマンがハミングしたと書いてあったから。

https://twitter.com/taizooo/status/1455867815936753667

「みなさんがラディカルだと思う人たちは、ほんとうは保守的かもしれません。保守的だと思う人たちは、ほんとうはラディカルなのかもしれません」。そしてシベリウスの第五番をハミングし始めた。

今週末のプレイリスト

1年前のプレイリストからレディオヘッド "The National Anthem" 。

気に入ってるところ。シベリウスの交響曲5番の最後の楽章(繰り返されるフレーズがイイ)から巻き戻って、レディオヘッドのナショナル・アンセム、そしてマグヌス・リンドベルイの kraft (エサ=ペッカ・サロネン、フィンランド放送交響楽団)ってところ。それから、エドゥアルド・トゥビンの交響曲第6番、すごくイイ。

交響曲、多めなのと、レディオヘッド、交響曲に全然負けていない。

それから、


【公式】北九州vs甲府の試合結果・データ(明治安田生命J2リーグ:2021年11月7日):Jリーグ.jp
https://www.jleague.jp/match/j2/2021/110710/live/

サッカー、希望を残した。残り4戦。


それから、それから、

金曜日に虫歯が砕けて、歯を抜いた。斜めに生えている歯だったので時間がかかったのと抜歯後の傷が大きくて縫った。「しばらく痛むかもねー」という医師の言葉通り炎症がひどくて、痛み止めと抗生物質に頼る週末だった。月曜日、休んだ。

今週末の良かったこと

読了、それはあまく危険な香り




アレックス・ロス「20世紀を語る音楽」、 読了した9/18から読み始めた ので1ヶ月半くらいかかった。

最後の章「15 沈める寺」はキレイに着地させるために存在するような感じだった。意味があるのはその前の「14 ベートーヴェンは間違っていた」。この章はそれまでのところとちょっと毛色が変わっていて、現代の音楽、ポップミュージックを軸に音楽全体を俯瞰している。これ、まさしくアレックス・ロス「これを聴け」("Listen to This") に繋がっている感じ。

「これを聴け」、楽曲リストを順番に聴きながら進めていて、読み始めてから、 かれこれ3年くらい たっている。いよいよちゃんと読むかー、という気分になっている。

いつだって、次になにを読むのかが一番大事。

上へ上へ高くどんどん開いていく感覚

今週末のプレイリスト。一年前のプレイリストから、オリバー・コーツ "Above Sunset Pass" を持ってきた。

https://twitter.com/taizooo/status/1454212575588089860

1年を越えて思うのは、これは(自分の思う)クラシカル・ミュージックの探求だから続いてる、ってこと

https://twitter.com/taizooo/status/1454212950068133894

ファンク掘ってたときには、続ければ続けるほど、どんどん閉じていく感覚があった

https://twitter.com/taizooo/status/1454213500708950018

下へ下へと深くそして閉じていく感じだったけど、いまは上へ上へ高くどんどん開いていく感覚なのね

たまたま自分にとってクラシカル・ミュージックがそうだっただけで、誰にとってもそういう上へ上へと開けていくなにかがあるんだと思う。きっとそうだ。そうだといいな。

サッカーはあった

https://twitter.com/taizooo/status/1454443512183681029

勝っても負けても引き分けても、畳むべき洗濯物を畳め

以上。

繰り返し(また練り返し、そしてまた繰り返し)

https://twitter.com/taizooo/status/1454702047740055561

私たちみなが繰り返し(また練り返し、そしてまた繰り返し)


私たちはこの文化のなかで同じことを繰り返してきた。私たちは同じことを繰り返し尽くすことができるかもしれない

今週末の良かったこと

低く唸る声

土曜日は小瀬まで走って行って、サッカーを応援して、走って帰ってきた。

日曜日はいつもの裏山へ入った。今回は出来るだけ走れるようなルート、斜度がほどほどのところ、を取って走った。走り出したのが13時で日向はポカポカした陽気だったけども、山に入った途端、日陰はかなり冷えて、木々の中は薄暗かった。


via https://www.yamareco.com/modules/yamareco/showroute_rec2_mobile.php

武田の杜遊歩道をゆるゆると上って大きなカーブを曲がると少しだけ視界が開けて、振り返ると盆地の方向が見える。また暗がりに入っていくと、斜面の上の木々の中から枯れ葉が鳴って低く唸る声が上がった。そのままその場に止まってゆっくり後ずさりして静かに来た道を戻った。

思いの外、冷静だったけど、なにが起きてもおかしくなかった。山に入るのは怖い。怖いけど楽しい。楽しいけど怖い。

しかしまぁ、大事なのは今後である

甲府 vs 長崎 ホーム 小瀬 2対1 勝利。

試合開始からほんの数分で1点ビハインドという、予想し得るなかで最悪の展開で始まった。そこから逆転で勝利。得点のシーンはどちらも素晴らしい展開で、いつの頃か、守備専業、攻撃は外国人まかせ、カウンター一発、みたいなにいわれていた頃が思い出せないようなスタイルを築きつつある。どのシーンも野津田から始まってた。野津田、能力だけじゃなくてそのキャラクターも含めて愛すべき男。

他所の試合結果が気になるシーズン終盤だけど、あえて勝点差を読まない。残り7試合。とにかくいつだって次の試合が一番大事。

https://www.summit2011.net/artists/punpee/

しかしまぁ、大事なのは今後である。

https://twitter.com/taizooo/status/1451831074003116038

元気に走って帰って来たよねー(勝ったから)

本は読む人の中に流れている

アレックス・ロス「20世紀を語る音楽」、第二次世界大戦後の世界に移って来て、その最初に現れた人たちがだんだんいなくなっていく。シュトラウス、ショスタコーヴィチ。アメリカへ逃れた人たちもヨーロッパに留まった人たちも冷戦の時代には政治に経済に縛り付けられていた。いまもそんなに変わりがない。

「20世紀を語る音楽」、二人だけは一つの章が当てられていてその二人とはジャン・シベリウスとベンジャミン・ブリテン。どちらも本流から離れたところにいる者と見なされてきた。保守本流からは先鋭的だと、前衛音楽からは古臭い音楽だと。そして自身も、意図的に、政治的に、自らのために。傍流、辺境、周縁。

そしていよいよ、オリヴィエ・メシアンとジェルジ・リゲティがやって来た。

「20世紀を語る音楽」読み始めてから1ヶ月を過ぎた。いつものことだけど読むのが遅くて、しかもすぐに寄り道しちゃうので、もう本の最初の方は全然覚えてない。

本は読む人の中に流れている|ちくま文庫|柴崎 友香|webちくま(1/2)

「ぼくにとっては本はつねに流れの中にあり、すべての本はこの机に一時滞在するにすぎず、何らかの痕跡を残して、必ず去ってゆく」

この本の痕跡は、わたしの中にあり、別の本の中で見つけることもあり、次第に他のたくさんの痕跡と重なり合っていく。

それから、

今週末のプレイリスト。

1年前のプレイリストからオウテカの "gr4" 。パトリシア・コパチンスカヤのヴァイオリンにパンクを感じるのと、あと、ララージのピアノ、びっくりするぐらい良い。一番気に入っているのはジュリアス・イーストマンの "Stay On It" 。

今週末の良かったこと

1984

タイムラインで見かけた「一九八四年」の話を取っ掛かりにして、ジョージ・オーウェルが20世紀の始めを生きた人だというのを発見する。21世紀の始めを生きる人、これは自分たちのことだったりする。

scrapbox.io

オーウェルは11歳のときに第一次世界大戦が始まって、30歳を過ぎてまだ何者にもなっていないときにスペイン内戦が起きる。オーウェルは新聞記事を書くつもりスペインに渡って、革命の空気に感化されて人民戦線に参加する。

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のちに書かれた「動物農場」も「一九八四年」も、その時代の影響を受けている。作者の手を離れた作品は、次第にその意図から逸脱して、読者の解釈に踊り始める。

https://taizooo.tumblr.com/post/66975024

同じ風景を眺めても、同じ言葉を聞いても、違うものを見出しているのだ。まあ、気にすんな。

ということで、オーウェルのエッセイ「なぜ書くか」を読んでいる。

f59.aaacafe.ne.jp

scrapbox.io

20世紀を語る音楽、分断、革命、傍観者

gyazo.com

アレックス・ロス「20世紀を語る音楽」、その最初から、音楽における分断を描いている。冒頭の20世紀始めではシュトラウスとマーラー、いま読んでいる冷戦時代ではブーレーズとケージ。ブーレーズはメシアン、ケージはシェーンベルクに師事している。大西洋を挟んでヨーロッパとアメリカ。

https://sawabe.hatenablog.jp/entry/2021/10/05/233148

一瞬語られ、通奏低音のように響く「分断」という言葉に思いを巡らせる。

分断、歴史のあらゆるところに現れる。ブルジョワ資本主義とマルクス社会主義、ファシズム全体主義と反ファシズム、反ユダヤ主義とシオニズム、きのこの山とたけのこの里、赤いきつねと緑のたぬき。

scrapbox.io

ピーター・ドラッカー「「経済人」の終わり」に、理念なき者はアンチを唱える、っていうのがあって、前例を徹底的に否定することを教理とするとある。これは誰もが普段からしていることで、なんとなく気に入らないから反対を表明するみたいなこと。人によってはそれが簡単に伝播するんだけど、ある条件下では極端にその閾値が下がって爆発的に感染を拡げる。それが「革命」。ある条件下とは「人々が絶望しているとき」なのだそうだ。

20世紀の始め、ヨーロッパは絶望の淵にあった。その間隙をついて拡大したのがファシズムだった。ということらしい。

ある条件下では極端にその閾値が下がって爆発的に感染を拡げる。

これは、2007年以降、自分がインターネットで眺めてきた風景だったりする。なにかが起きているとすればその片棒を担いでいるのは間違いなく自分だ。傍観者の話。リブログの話。

それから、

甲府 vs 金沢 アウェイ 2-1 勝利。中村亮太郎、須貝英大 の得点。3位浮上。昇格圏との勝ち点差は8になった。残り試合は8試合。

鳥海芳樹、曰く、

鳥海芳樹「”若手の力で昇格した”と言わせるくらいのモチベーションで頑張りたい」【練習場から】 : 山梨フットボール

日替わりで誰かが活躍すること。それは若手にしかできないことだと思うので誰かが日替わりで活躍して勝つしかない

勝っても負けても引き分けても、次の試合が一番大事。勝負は時の運だけど、最後は右肩上がりでいきたい。

それから、それから、

今週末のプレイリスト。一言でいうと「傑作」(当社比)

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