日記の練習です。
一語一句、まったく、響かない。ということは、その観点、疑問は僕のなかには全然存在しないということか。
LLMの進歩によって、得たい情報があるときにそれを見つけ出すことが効率化された時代において、「本を読む」とはなんなのか
本を読むとは何か2025 - 西尾泰和の外部脳
例えてみる。
モビリティの進歩(もしくはカリカリにチューニングされた乗り換えアプリの進化)によって、行きたい場所があるときに最短最速爆速で到達することができる時代において、「裏山を走る」とはいったいなんなのか。
youkseki サンの「どこでもドア」の話。
今更だけど、すごくないですか? 電車はだいたい時間通りに来るし、私はもちろんマシーンのように正確に歩く。だから乗り換えアプリで目的地を調べたとき、すでに目的地に着いている。ほとんど「どこでもドア」
私の「どこでもドア」 - by yu koseki - たよりない話
実際には行き方がわかってもじゃあ行こうと決断して、そして実際に一歩踏み出さないかぎり目的地には着かないのだ。そして僕にとっては「裏山」を走るのと、『道徳哲学史講義』を読むのはまったく一緒。
なんでもなにかに例えることの弊害はよく知っているけども、